ゴールデンウィークを使った巡礼の旅,

3日目の今日は高校時代を過ごした街に行ってきました.

 

今の妻と結婚前のデートでこの街を紹介しに2人で歩いたことを

駅に向かう途中で思い出しました.

まずはその場所をたどりました.

 

駅の中心の繁華街ではなく,

北口から出て,静かな道を通っていくと,図書館が見えました.

ガラスが汚れていましたが,建物は記憶の通りそのままでした.

 

その足で公園へ向かう道を通りました.

妻とその公園に行った思い出がありました.

また,高校生の時,自転車でその公園を経由して図書館へよく向かっていました.

下校した後に図書館で勉強していたんですね.

 

いろいろな本を読んでいた記憶があります.

わりと蔵書の多い大きな図書館で,

私の興味を満たすには充分な場所でした.

 

ここで確信したのは,高校時代の記憶ははっきり残っているということでした.

18歳で脳を壊す前の記憶は,壊れた後もしばしば参照できていたこともあり,

今もわりとはっきり覚えていて,何を考えていたかも思い出せました.

 

この日の再訪問の旅は,当時の私が何をしようと考えていたか,

将来の自分について悩んでいたことがはっきり思い返せるものでした.

将来,つまりそれは今の私.私の原点を確認できる日になりました.

 

街に出ると,路地の記憶がよみがえってきて,その角で曲がってみました.

看板や建物の外観に既視感があり親しみさえ覚えました.

次々現れる地区の名前は,どれも見慣れたもの.

しかし,この道がどこへ続く道なのかまでは分からなかった.

 

ある道路へ出ると,見慣れた建物.

精神病院だった.21歳と27歳の2度入院した病院.ここに出るのか.

隣にやはり教会があり,その向かいにはスーパーがしかし新しくなっていた.

看板に書かれている牧師の名前は今も同じである気がした.

入院していた同胞の顔や姿が何人も思い浮かんで,今も元気かなと思った.

 

高校へ続く坂道を登った.

自転車で毎朝通っていたので,表札の名前さえ記憶に残っているものばかりだった.

自転車で通っていたのは1年生の途中からだったか,2年になってからだったか,

それはよく覚えていない.

 

高校のグラウンドが見えると,体育の授業でテニスをした場所だと思った.

グラウンドが見えると鉄棒やハンドボールのゴールが見えた.

何も変わらない光景がそこにあった.

 

道路に地域の中学生による川柳の佳作が掲げられていて,

「〇〇〇 今の自分を くつがえせ」という言葉を見かけた.

すごい言葉だと思った.無理するまで追い込みすぎないで,と思った.

 

さらに北側の市民公園へつながる道を通った.

洋菓子店が今もあり,高2の時級友のためにアイスを買って配ったことを思い出した.

そのまま港へ向かう道を探して歩いた.

 

港へ行く交差点を曲がると,まず警察署が見えた.

ここは私が20歳の頃,深夜に顔面蒼白の私を保護逮捕してくれた場所だ.

私を逮捕してくれた警察官の名前も顔も思い出せた.

釈放されてから1年くらい,この場所まで彼に会いに行っていた.

季節の山菜やきのこの話をしてくれたのを覚えている.

 

この港は私が16歳の時に研究したいことを思いついた場所であり,

20歳の時に自分の遺体を置くところとして選んだ場所でもある.

その場所はかなり奥の方にあった.

 

海岸は潮干狩りの道具を持った市民で賑わっていた.

奥の方へ行っても,釣り人の夫婦がたくさんいた.

ゴールデンウィークだからだろう.

 

16歳の時の場所はベンチがまだあった.

このベンチに寝転んで,あの研究をしようと心に決めたのだ.

ベンチもそれを覆う庇も,風雨に晒され,錆びついて,

近づかないでくださいの張り紙が貼ってあった.

当時は仮設トイレがあったはずだが,取り払われていたようだった.

 

20歳の時の場所は,その目の前の防波堤を越えたところだった.

ベンチから30秒で着ける場所だった.

釣り人で混んでいたので,

その場所をスマホで撮っていると不審な目を向けられた.

ただの防波堤の写真を迷わず撮ったのだから当然の反応である.

私にとっては大事な場所,再生したきっかけの場所だ.

 

駅へ向かう帰り,私にとって原点となる思いが明らかになった.

その研究への志だった.

大学で話した同級生たちの顔が何人も思い出された.

大学時代を何も覚えていないわけではなかった.

研究を通じて関わった人たちの思い出は残っているようだった.

 

このような,人に理解されにくいだろう私の生き方は,

この研究をめぐって私には全て了解可能になった.

私の中では一筋の経緯が通った.

私は一貫した私を確認できた.旅の目的は達成した.

 

なぜか急いで家に向かった.

観光帰りの旅行客で混雑する駅の人波を足早に通りぬけた.

私は説明可能な私になった.

それは人に説明しなければならない私ではない.

私の話は私だけがよくわかっていればいいものだ.

これから私は何をしないべきで,どうあることが責務であるかが

はっきりした.研究内容から考えて自然な考え方だ.

 

私はもう私が過去に何をしていたか探ることはしないだろう.

少なくとも,そのために場所を訪れることはしない.

私は私を取り戻した.

取り戻せない私は外の場所にはなく,私の中にしか存在しない.

これが私の人生の現実だ.

 

この巡礼の旅は得るものがあった.

自分のこれからの生き方が明確になったからである.