聖書においては自己犠牲が大切ですが、実際にアガペーとは何かを教えてくれる人はいません。
聖書研究をしている人からすれば、アガペー愛は固い絆を結ぶ愛であり、兄弟愛や友人愛、親族間や親の愛よりも強い場合があるそうです。
それで本人と話したのですが、白猫パンチ的にはアガペー愛と言っても感じる事ができませんでした。
最強の固い絆を誇るアガペー愛のはずですが、親族愛や友愛、異性への愛などは理解や感じる事ができますが、アガペーを感じる事はありませんでした。
人間特有の愛という割に、自分と無関係の人はそこまで助けたいとも思いません。まあ、目の前で困っていれば助けるでしょうし、地震などの災害で困っていれば助けるかもしれませんが、優先事項的には低いです。
配偶者→親→兄弟→友人→知り合い→その他の知らない人という順くらいで助けると思います。
友人などからは、自分にお金の余裕がある場合に限り助けるでしょうし、自分が危険になるリスクまで冒して助ける事はないでしょう。
一時期は、連帯保証人という責任を負わないような言葉に惑わされて家や土地を売ってしまうケースもありましたが、今ではその危険を理解して連帯保証人にはならないようにしている人がほとんどです。
このように、無私の愛などは一見するとあり得ないように見えてきます。
自分もアガペーは神や天使だけが持つ特質だと思っており、人間は不完全だからそれを感じられない、理解できないと思っていました。
神は天使や人を作ったので、サタンや犯罪者などもキャラクターや役割として愛せるのだが、人間の自分は創造の技に携わった事もないし、創作で作ったキャラクターを愛する事は理解できたのでそういう物だと認識していました。
それでも、ある一つの可能性に到達しました。
人は、自分が助けたり行動した人を愛情を持ちやすくなるという点です。
仮に、ある人が知識も無く困っていて、自分が助けて聖書の歩みを続けられるようになったらどうでしょうか?
その人が元気か気になりますし、困っていたら助けたいとは思うはずです。つまり、自分がその人を助けて、その人が聖書を受け入れた場合には愛情の対象になる可能性はあります。ただ、それでも普通の友人や兄弟よりは愛情を向けている程度でしょうが……。
余程の酷い親であるとか、赤の他人と数十年の付き合いがあるとかなどの状況にもよりますが、さすがに、まだそれだけで最強の愛であるとは思えません。神から人間への愛なら、判別できませんが、その人その人への最高の愛なのかもしれません。
その愛に引きつられて人が神を愛するようになるかもしれませんが、人が人を愛するアガペーは未だに謎の部分が多いです。このアガペーが解明されれば、神と人との関係もより強固になるのかもしれませんね。