さきにフットサル愛を実感させてしまうほど、フットサルが好きな私。
「好き」という感情は、私自身を突き動かす大きな原動力となっていることに気づき、その源を少し振り返ってみる。
遡ること、小学5年生日韓ワールドカップで盛り上がる我が国。
W杯サッカーの熱狂と遺産 2002年日韓ワールドカップを巡って
その盛り上がりにあやかりつつ、当時仲の良い友達がサッカー部に入るということでサッカー部に入部。とはいえ運動神経があるわけでもないので、蹴り方もわからないし、とっても上手いとはいえないプレーヤー。
そこから中学校は帰宅部、高校はやっぱりサッカーをやりたい!という気持ちが蘇り、高校にはサッカー部はなく、地元から少し離れたクラブチームに入部。
中学校の時、何も部活動をしていなかったことから、完全に出遅れてしまい、チームに馴染めず、チームで少し浮いた存在で、また勉強も当時そんなに好きでもなかったので、人間関係に苦しみつつもサッカーを続けていた。
なんで辞めなかったのか不思議なくらいだが、
振り返ると、当時の高校はスポーツ推薦から入ってきた、体育会系の方が多く、クラスを盛り上げている存在だったので、クラスメイトでありつつも格好良いな〜と少し憧れている部分が少しあったのかもしれない。
そして大学進学で、私だけ地元を離れて、静岡県の大学に進学。
そこでサッカーサークルに入るものの、サークルレベルなのに周りがサッカーが上手い人が多く、打ちのめされ、そこからバイトに明け暮れ、その貯めたお金でアメリカにホームステイをしていたりして、サッカーからは離れていた生活を送ることになった。
そこから数年後、社会人になり、転職を機に、都内で暮らすことになった。
東京にそこまで友達がおらず、友達作りサークルや食べ歩きサークルなど色々な社会人サークルに出かけてみた。
しかし、どれも合わない状態で、
私の得意なことや好きなことでないと、私の価値を提供することができない。と考えるようになり、
サッカーはコートが開催されているものが少なく、フットサルサークルをターゲットにいくつか参加をした。
ようやく見つけたフットサルサークルでも、人間関係で上手くいかなかったり、習い事のフットサルスクールに入ったりもした。
結局そこで自分に合うものを見つけて、気づき、行き着いたのが、
主催者との相性や温度感がとても大事なような気がした。
そして、フットサルの社会人のチームにも所属することになった。
ようやく一つの居場所を見つけたような気がした。