何か起こったとき、心の中で「中道(ちゅうどう)」を心がけるようにしています。
ようこそ、おいでくださいました
たとえば、本多正信
NHK大河ドラマ「どうする家康」では本多正信(松山ケンイチさんが演じています)は、最初の頃、うさん臭く、すぐどこかへ行ってしまい、敵か味方かわからないいい加減なところがあり、内股膏薬と思われる方が多いでしょう。
本多正信 - Wikipedia
内股膏薬とは?
太ももの内側に膏薬を貼ると、歩くたびに、右の太もも、左の太ももとずれて、いったりきたりして、いったい、どっちにくっつきたいんだい?!のこと
最近の、本多正信(役:松山ケンイチさん)は、中道力発揮です。
「中道」とは?
お釈迦様が、仏道修行をされていたとき、断食や坐禅や苦行を重ねられましたが、何も悟られないと思われました。
そして、苦行難行でもなく、快楽にふけるのでもなく、正しい自覚と実践の道を選ぶことに目覚められました。
それを「中道」といいます。
私たちは、がむしゃらに頑張ったり、快楽へ溺れたりと、両極端に走りがちです。
目の前のことに対しても、すぐ「良い」「悪い」のジャッジをします。
子育てにしても、部下の育成にしても、短絡的な判断はやめましょう。
道の真ん中に立つがごとく、見渡し、今だけでなく未来を、想像することが大切です。
浄土真宗 本願寺派(お西)、大谷派(お東)が残れたのも
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗は、いくども消滅の危機にありました。
最澄様の死後、比叡山延暦寺からは、なんども迫害されていますし、織田信長からも散々な目にあわされました。
豊臣秀吉の時代になってから、それなりに落ち着いていましたが、
1598年秀吉が亡くなると、関ヶ原の戦いへ。
そのことが、微妙に浄土真宗にも影響してきます。
西軍 豊臣軍
石田三成
浄土真宗 准如上人(後のお西)「浄土真宗本願寺派」
東軍 徳川軍
徳川家康
浄土真宗 教如上人(後のお東)「真宗大谷派(東本願寺)」
と、それぞれが分かれてしまいました。
浄土真宗の後継者争いと、豊臣軍、徳川軍が交差するというか
戦いが一緒になってしまいました。
結果は、皆さんご存知のように「徳川軍 勝利」
おかげで、その後、戦の無い平安の世の中がはじまるのですが・・・
徳川家康は、教如上人(後のお東)に、京都烏丸にお寺を建てるよう土地を与えました。(現在の東本願寺)
で、豊臣軍の石田三成についていた、准如上人(後のお西)は、お取り潰しと、下手したら処刑されるかも・・・
そんなときに、本多正信が、
「准如上人(後のお西)側を取り潰せば、反感をかい、あちこちに一揆が起きるかもしれません。
そうなると徳川さまはどうなさるか?」
と助言したとか。。。
とのことで、西と東に分けたらどうか?
と提案したので、今の形になったとのこと。
当時、本願寺があまりに力を持っていたため、勢力を分散させたという説もありますが、本多正信が一役買ったのではないかという研究をされている学者さんもおられるのは確かな様です。
本多正信様がいなければ、私のような西と東、両方でお勤めや学びはできませんでしたね。
勝った方、負けた方と、現在の姿で区別することなく、長い目で判判断し、矛盾対立を超越することこそ大切ではないでしょうか?
本多正信自身も、褒美は3万石以上は断ったとか。
子孫にも遺言として残しています。
あの時代は、出過ぎると、色々狙われるからです。(野心があるのではないか?)
一喜一憂しない。
極端な道を選ばない。
今の時点のみで、良い悪いでジャッジしない。
長い目でみる。
中道という考え方をしてみませんか?
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