アラフィフのまりもです*(^-^)


サラリーマン家庭に育ち、自営業の人とはご縁がないはずだった!?まりもは会社経営者と結婚し、想定外にダウン症児の母となりました。

そんなまりもの プロフィール をぜひお読みくださいキラキラ


と、その前に🎵

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前回は、再就職をした会社が、

かなりのアウトロー過ぎて!?介護ヘルパーに転職したお話しでしたw

そのお話しはこちら です。


  自己肯定感低さが再び、、。

空巣に入られて引っ越しをした先は、

中央線の高円寺。


事務職に戻っていた私は、

当時、池尻大橋に本社を構える不動産会社の

荻窪支店に勤務していました。


売買物件の仲介をしている会社で、

若い営業マンが家をたくさん売れば、

学歴も関係なく20代前半で

年収1000万も夢ではない、

そんな下剋上を絵に描いたような会社でした。


そこで私は、

女性に求められるものが

「美しさと可愛らしい振る舞い」

なんだなって痛感したのです。


と言うのも、

事務職なら一般的な売上管理や請求書を出すような業務はまったくなく、

営業マンの気分をもりたてるのが仕事でした。


一緒に働いていたY子ちゃんは、

キャバクラで売れっ子だったところ

遊びに行っていた営業マンにスカウトされ

入社していました。


Y子ちゃんは会話も上手で、

「○○さん、Y子の為にがんばって来て❤️」

「Y子、よっしゃ!この物件売れたらおごってやるからなー!」


かたやY子ちゃんに比べると

地味、堅物、面白みもない私。

そもそも営業マンをもりたてるにはどうしたらよいのかも皆目思い浮かばなかったのですあせる


Y子ちゃんとの落差に引け目を感じながら過ごしていましたが、

その後Y子ちゃんと

プライベートでも付き合ううちに、

「キャバクラでスカウトされて入社」という言葉に色眼鏡をかけていたのは私だったんだなーと知ることとなりました。


Y子ちゃん、根は純粋そのものの頑張り屋さんでした。

私は不動産会社を辞めてから、

新宿で偶然再会して、今もご縁があるんです。

現在のY子ちゃんは、

サッカーを頑張る息子くんを

一生懸命応援しながら公文の先生の資格を取ったり、阿波踊りの団体に参加したり、はつらつと自分の人生を謳歌する、素敵なお母さんになっています飛び出すハート


とは言え当時の私は、

Y子ちゃんと働くうちに、

会社における女性の立ち位置に戸惑いました。


女性は、容姿が美しくて、ちやほやしたくなる存在感であれ!


それ以上は求められない。

そんな風に感じてしまったのです、、。

完全にひがみ根性ですね汗


容姿の美しさが仕事の評価に繋がるの!?


今なら分かります。

そんなことはないんです。

そう思い違いをしたのは私自身でした。


痛い過去です。


その頃から私は

女性は男性に求められてこそ

幸せを手に入れられるものなのか?

と更に迷子になっていきました、、。


そしていよいよ、

ここから結婚狂奏曲が始まるのです。



  まりも、お見合いをする

30歳を目前とした当時、

結婚をすればきっと幸せになれるんじゃないか?

真面目にそう思うようになっていたので、

親戚に頼んで、二度程お見合いをしました。


30歳を目前にすると女性は結婚に焦る、

もしお読みいただいてるあなたがアラフィフでしたら、少しお分かりいただけるかもしれません。


私が大学を卒業したのは平成7年でした。

就職氷河期真っ只中、

大企業に就職するには短大卒が有利、

何故なら「お嫁さん候補」だから。

そんな噂がまことしやかにささやかれるような時代でした。


と同時に一方では

キャリアウーマン志向も根強い、

両極端な時代でもありました。

私はキャリアウーマンに憧れたものです。


でも、、、


結局、キャリアウーマンにもなれず、

お嫁さん候補にもなれず、

何も持ち合わせない三十路手前の私。


お見合いをしたお二人の男性は、

とても誠実で紳士な方でした。


なのに、

私には捨てられない(と思い込んでいた)

ROCKが好き、の気持ち。


学生時代からバンド活動をしている人としか付き合ったことのない私は、

お見合いをしたことで、

自分の気持ちを知ることになりました。


男性にお嫁さんとして求められるより、

私はROCKが好きで好きで、

家庭に入ったらROCKを捨てなければならない、

それは私の人生ではない!


そんな風に思ったことを覚えています。


そして、その偏った思いは、

三十路をまたいで、

どんどん「こじらせ」を加速していくことになるとも知らず、お見合いさせていただいた方を

お断りしました。


たらればですが、

あの時、お見合いをさせていただいた方と

結婚をしていたら

私はどんな人生を送っていたのだろう。


こうやって人生の分岐点は

やって来るし、

その分岐点を選んだのは、

まぎれもなく自分自身なんだよなって

今は、はっきり思います。


人生は選択の連続ですから。


  ROCKにこだわった末路

30歳を迎え、仕事は事務職を転々としました。


高円寺は刺激的な街で、

いろんな音楽を奏でるエネルギッシュな人達が

うようよと居ました。


夜中に路上で演奏する人も居るし、

老舗のライブハウスもたくさんあったり、

マニアックなレコード屋さんもある、

私は、そんな街の住人であることが

好きでした。


千葉県の片田舎で生まれ育った私にとって

これが『東京』なんだ!

かっこいい生き方してるじゃん!


なんてね、勘違いしてました。


高円寺の街で知り合ったバンドマンと

お付き合いすることになりました。

応援するよ!!頑張って!!

の気持ちしかなかったのに、、。

私は付き合っている彼から、

いつしかお金をせがまれるようになったのです。


昼は会社員、夜は焼き肉屋さんでバイトしたり

スナックでホステスしたり。


そんな生活を送るようになっていました。


大好きだった彼を応援するはずが、

ただ単純にお金をせがまれることで、

電気が止まり、水が止まり、

どうにもならなくなったその時、、。


まりも史上、

最大のモンスターが現れます。


最後までお読みいただき、

ありがとうこざいます飛び出すハート


次回は、現れたモンスターとの日々を

書かせていただきます。

現在は私も親になったので、

親目線からしたら、

『どうしてそうなった!?』

当時の私を一喝したい気持ちです、、。


こじらせ女子どころではない、

命の危険もあったかもしれないと、

後になって母の心配する気持ちを聞きました。

最後は逃亡劇にまで発展します、、。


不幸を語りたいのではないのです。

そもそも「こじらせたい」などと、

1㎜も思ってませんでしたから笑


ただ、たくさんこじらせて来た私が、

自分を見つめ直し、

人生を再スタートするのに必要だった真実を

お伝えしていきたいと思いながら、

この物語を書いていますキラキラ


次回もお楽しみに気づき



あなたはご自身の「幸せ」を

叶えていますか?

こじらせ女子だったからこそ!

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