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2023.10.24
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カテゴリ:城陽の歴史
『城陽市民俗調査報告書第1集』によると昔平川、枇杷庄、観音堂、市辺にはバンコ小屋と称する番小屋があったようです。江戸時代くらいのようですが、治安維持組織が今ほど警察組織とかが充実してあるわけではないので村ごとに自衛していたのでしょうね。

平川では東西2箇所
枇杷庄では村の出入り口2箇所のうちの1箇所。
観音堂では5箇所あった村の入口のうち2箇所。
市辺では2箇所。
にあったとのこと。
寺田にも村の入口として東の大門と西の大門の2箇所あり番小屋もありました。


また村の境界には、巨樹、石神、石仏を置いたりしていたようです。

城陽市を歩いていると巨樹があり看板が置いてあるのを見かけたり、お地蔵さんを見かけたりするので、その名残なのでしょうね。

城陽市を少しずつ歩いてまわりたいとおもいます。





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最終更新日  2023.10.24 14:40:30
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