寺社探訪

寺社探訪とコラム

生田神社

生田神社 目次

名称・旧社格

生田神社と称します。旧社格官幣中社です。

創建

神功皇后元年(201年)

御祭神

稚日女尊(わかひるめのみこと)

みどころ

神戸の名の元となった神社で、神戸市で最も参拝者の多い神社です。三ノ宮の繁華街に鎮座していて、多くの観光客で賑わっています。

アクセス

兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1

JR「三ノ宮」徒歩10分

 

探訪レポート

神戸市を代表する神社で、繁華街からいきなり入口になります。鳥居をくぐると駐車場になっていて、雑然とした雰囲気でガヤガヤした印象があります。神戸出身者としては、ここはもっと静謐であってほしいと常々思います。

左右に立派な境内社があります。右側にはお酒の神様の松尾神社です。神戸と言えば灘の酒が有名ですが、そのルーツは仲哀天皇の御代まで遡ります。神功皇后三韓征伐した話が生田神社のルーツになっていて、その後三韓より来朝する使者に、生田神社で醸造した灘の酒がふるまわれたのだそうです。

左側にあるのか大海神社です。猿田彦神が祀られています。海上安全・交通安全・方位除け・道開きの神様としてまとめられています。灘の酒同様に神戸は港町としても有名です。海上安全を祈願する海運企業の崇敬を集めています。

この鳥居は実は三之鳥居にあたります。一之鳥居はJRの線路を越えて、かなり離れた場所にあります。その鳥居が生田神社の一之鳥居だと気づかない人も多いのではないかと思われます。

綺麗に飾られた手水舎です。酒、港、の次はファッションですね。神戸の人は本当にお洒落で、街を眺めていてもその違いを感じることができます。そんな気風が神社の手水舎にも表れています。

生田神社のシンボルでもある、朱塗りの楼門です。生田神社は神功皇后三韓征伐の帰路に稚日女命(わかひるめのみこと)を祀ったのが始まりとされています。そもそもは新神戸駅の近くの布引あたりに鎮座していましたが、延喜18年(799年)に洪水のため生田の森に遷座されています。延喜式神名帳名神大社に指定されていて、旧社格官幣中社です。

拝殿も鮮やかな朱塗りです。お祀りされている稚日女命は日本書紀にも登場しますが、若く瑞々しい日の神という意味です。日の神と言えば天照大御神ですが、稚日女命は天照大御神自身であるとか、幼名であるとか、妹神や御子神であるなどと言われています。本殿のあるエリアは塀に囲まれていますが、塀の内側では本殿のすぐ隣に摂社が祀られています。海上安全・交通安全の神として住吉神社、厄除開運の神として八幡神社、農耕狩猟・武運長久・力の神として諏訪神社、農工業・五穀豊穣の神として日吉神社が祀られています。

大同元年(806年)に生田神社に仕えるための家である「神戸(かんべ)」44戸を朝廷より賜ります。これが現在の神戸の名の由来となっています。他に、生田神社と言えば著名人の結婚式が行われたことでも有名で、縁結びのご神徳でも知られています。稚日女命が機織りで神服を織っていた神様だということで、糸と糸を合わせて織り成し、人と人の縁を結ぶということだそうです。水みくじという水に浸すと文字が浮かびあがるおみくじもあり、お守りや絵馬なども恋愛特化のものが様々あります。

生田神社は本殿の奥に「生田の森」と呼ばれるエリアがあり、木々が茂る中に多くの境内社が祀られています。こちらは蛭子神社です。蛭子(ヒルコ)は伊邪那岐伊邪那美の最初の御子神ですが、奇形に生まれたために海に捨てられてしまいます。ヒルコは諸説の多い神なのですが、恵比寿神と同一視する説があります。生田神社でも商売繁盛の神様としてヒルコ=恵比寿神としています。

力の神として天手力男命を祀る戸隠神社です。

森というほど鬱蒼とした感じではないですが、繁華街のど真ん中だと思うと不思議な感じがします。かつての生田の森は須磨区の一の谷に跨るような広大な森だったそうです。源平合戦の古戦場だったことや、昭和13年の神戸大水害、昭和20年の神戸大空襲、平成7年の阪神淡路大震災と、戦災や震災を乗り越えて復興してきたことから、「蘇りの杜」と称しています。

兵庫県蒲鉾組合連合会の説明文によりますと、神功皇后三韓征伐の際にすり潰した魚肉を鉾の先に塗りつけて焼いて食べたという伝説があり、これがかまぼこの発祥とされています。

生田森坐社と称する神社で、息長足媛命(神功皇后)を祀っています。生田神社の創建に関わる神なので、拝殿が設けられて立派な造りになっています。

水占いはここで水に浸して行うそうです。

生田の森の中にも小さな手水舎があり、花で飾られています。

綺麗に並んだ千本鳥居は稲荷神社ですね。ここで記念撮影している方々が結構いらっしゃいました。緩やかな階段になっていて、鳥居をくぐって神域に上がっていく感じが良いです。

生活守護・食物、稲の神として稲倉魂命が祀られています。このあたりが最深部になります。この日は天気があまり良くありませんが、陽が差し込むような明るい森のようで、歩いていても気持ち良いと思います。

樹齢500年の楠です。昭和20年の神戸大空襲から蘇り、60年以上も生き続けたご神木です。再生・再起・合格・復活・復興の象徴として信仰されているとのこと。

こちらは弁財天です。音楽・芸能、知恵と財宝の神として市杵島姫命をお祀りしています。弁天池という呼称ではなく、生田の池と呼ばれる池の中の島に鎮座しています。

こちらが生田の池です。私事ですが、20代の頃は大晦日に三ノ宮のクラブハウスのような店(ロックが爆音で流れていて、酒飲んで踊る)でカウントダウンして、生田神社の大行列に並んでお参りして、明け方に六甲山で初日の出を眺めるというのが年越の定番でした。今回初めてゆっくり境内を散策して、街の特徴というか、神戸の歴史や風土が詰め込まれたような境内で、人々が集う理由もわかるような気がしました。

 

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