Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

お久しぶりになりました~状況報告とご挨拶など

2024-03-29 22:23:29 | お知らせ・自己紹介

今年に入り、能登半島地震のご挨拶からかなり間があいてしまいました。申し訳ございません。発作がかなりひどかった昨年から比べ、体調は段々ましになったものの、波のある状態が続きました。「病気失業後の手続き」に一人(身寄りがありません)走り回っていて、毎日がくたくたになっていました。

①以前のかかりつけ病院について多少「合わなかった点」があった為、病院を変えることになりました。この事では、『自立支援医療制度』についても「登録病院・登録薬局」を決めるというルールがあるので、病院と薬局の変更手続きで、保健福祉センター(精神手帳やこのような精神的な不自由の手続きをする窓口)に行ったり来たりな日々となっていました。

②上記について症状がひどくて退職となった昨年2023年10月末付退職から、ハローワークでの『失業保険の受給手続き』にも走り回りました。失業保険というものは毎月決められた日に、就労をしたかどうかの確認をされ、時に病院での「診断書」を書いてもらって(支払いが必要ですが失業したてにお金がなく大変でした)などして、失業認定を受けなければ受給が出来ないため、そのことについても色々がありました。もちろん、結果的には問題なく進みました。

③失業保険受給中には、病気ですので(わたしの場合)もちろんあまり働けません。ですが、1度目の失業保険が出るのが翌月近くとなってしまったりはその月の通院・生活費に困りましたので、申告をして「一日バイト」には行ったりしていました。病気でしんどいのですが、身寄りもなく生活もできず、家賃も払えないので、仕方なくいっていました。

親切な働き先もあれば、「障がい者など雇ってない!」とキレられて、途中で帰されたり、パワハラ的なこともされたり、虐めにあったりしながら、耐えるしかありませんでした(自分はしんどいのに「障がいというだけでさぼるな」みたいに言われました。さらに「いい子だけど鼻につくわ(しゃべりもしていないし挨拶もしてるのに)」とかパートさんにもいじわるをされてきました。・・・でも、生きなくてはいけません。必要な「一日バイト」にいきました。

収入は安定しなかったものの、失業保険、+、少しの日払いの一日バイトでなんとかしのいできました。ごはんが食べられないとき、市役所で「お米」をいただいたりしました。ありがとうございます。

④わたしはかかりつけ医氏との相性が悪かったわけではなかったのですが、『自立支援医療制度』を自治体や国が申請の当日から実質的には「受理状態」となり「控え」で使っていいですよ、としているのに、『受給者証』が正式に届く約三か月(魔の三か月)まで自立支援医療制度が(そのクリニックでは)使えなかった為、三割負担が3か月ありました。

通常、<別の病院>なら使えていたはずの<社保は1割、国保は窓口負担ゼロ>の制度が「病院によっては三か月(受給者番号を待たなければ)使えない」という事に納得がいっていませんでした。その三か月は、一般健常者の方と同じ社会保険の三割負担をしながらきました。(病気で働けない状態でも補助はないということです)

そして、「受給者証」が届いてからは「国民保険」に一度切り替え(わたしの場合はどちらでも三か月の間は未適用なので「休職状態」で社保のままいました。)、国保に切り替えると「窓口負担はゼロ」となり、その時に「退職」して国保に切り替えることをしました。

ここで一度「無職・病気」の状態となって、国保に切り替えて「窓口負担はゼロ」とはなっても、国民保険料は皆さまと同じく支払うのには変わりはありませんので請求はありました。(窓口負担ゼロといっても保険からでてるので)なので、ハローワークでの『失業保険受給手続き』にいき、『早期就労支援』を活用させていただきながら、医師にもお話をしてきました。

わたしの場合はもう通常の健常者の方と同じように仕事が出来ない部分があり、例えば「声」(失声)がだせなかったり、「手」(強い複数回の発作から)に後遺症があったり、それが「いつ治るか」がわかりませんので、『<A型>就労継続支援(少しお仕事してお給与がでるほうのです)』というものを利用したい相談をまず医師へしてきました。

<<結果>>

①再就職となり社会保険加入(A型ですが日数が条件になるので)となる。

②『自立支援医療制度』はまだ有効であるので上記「社保加入者の窓口一割負担での通院」に変わった。

③国保だったときは失業状態でアルバイトもそんなにもできません。何より病気もまだしんどかった。「国保加入者は自立支援医療制度から窓口負担ゼロ」ではあるものの国保料も高かったです。病気での失業と収入減少についてで(まだ手帳がないので)減免措置はなされ2万ほどで分割にもしてもらったりができました。

④失業保険は失業中に働いていなかった日数分だけいただけます。わたしにはハローワークの方々がいちばんに親身にしてくれていたと感じました。場所によるかもしれませんがわたしの地域はハローワークの方々はいい方々でした。一週間とか一か月先とか言いつつ、時に数日で「失業保険」の振り込みがあり、助かってはいました。

⑤年金事務所での手続きですが病気や失業、収入減少のこと、ハローワーク提出の書類とハローワークが認定してくれているので、すんなりと話が進んで、年金関連は「免除」となって、再就職時に再就職先が手続きをしてくださっているので、その後(再就職してから)わざわざ出向かなくても手続きができていました。

⑥いちばん高かったのは「市税・住民税」のことですが(元気な時の一年前の収入をもとにくるもので、病気になってお金のない今年に去年の事を払えというシステムは「酷」だなという気持ちは変わりません)、いろいろな事情をお話して、担当の方が察してくださったりするので「保留」をしたりしてくれながら、お金が入るまで待っていてくださいました。

⑦すべてがひと段落するまではと、通院は頑張りました。『再就職先』(A型)に就くために「必要な病状の証明(診断書・意見書)』を医師にもらわなければいけないので、しっかり医師とはお話しました。そして、早めに「意見書」をくださり、まだ「精神手帳」の申請の条件の<通院6か月要>になる前にもうすでに「A型にいける病状の証明(診断書・意見書)」を頂けました。なので、早めに『再就職先』(A型)が速攻にきまりました。これで「再就職手当」がでたので、支払えていなかったもの(市税や救急搬送、保険、生活費など系)の「マイナス部分」をまず支払いました。

⑧以上で、いったん、最初(初診)のかかりつけの病院(クリニック)は、ここで「完結(終了)」としました。

最後に「紹介状」だけ頂き、かなり昔に通っていた病院に変わることになりました。ここは大きめの病院なので『自立支援医療制度』などの関連の手続きは、自治体・国が「控え」でも「すぐ適用」も出来て、地元のせいかとても親身なので、すぐに使用していいよという意向、そのまますぐに受け入れてくれる、自転車でも通える、ので、こちらに病院を変更としました。

結果、新しい主治医も本当に良い方に当たりました。事務・看護士さんも優しかったのでよかったです。

考えてみたら、はじめからこういった「大きな病院」にしていればよかったのがわたしの1点の後悔です(『自立支援医療制度』がはじめから使えていたら「経済的苦痛」が和らいでいたはずだから・・・「クリニック」であるから、もしかしたら「受給者番号が確認できるまで適用しない」という方針だったかもしれません)。

以前の医師にはお礼をしますし、相性が悪いわけでなかったですが、この「病院によっての方針の違い」についてにはあまり納得いっていなく(病院によって違う)、何か統一や改善・改正(病院・クリニックの公式HPでも「受給者番号でるまでの3か月は適用する・しないを「わかりやすく提示」してほしいなど)してもらいたい気がまだしています。自分がすでに『自立支援医療制度』をそのクリニックで申し込んで、病院を変えるというのは、また何度も「紹介状」やら必要になって手間だったですので・・・。

また、以前の病院(クリニック)では医師ではなく「事務方」「経営方」と方針的な相性が合わないので「病院を変えたい」というのもありえるので・・・そこの点で、「医師はいいのに」とかではなく、「自分が通いやすいほうを選ぶ」を中心に考えて、もう少し早めに気が付いていたらよかったかもしれません。以前の担当の先生と一部の医療事務の親切だったかたには、非常に感謝をしています。

<これから同じように病気退職での病院を決められる方は「わたしの後悔談」は参考としてでお願いします。>

長くなりましたが、わたしの「気持ち日記」と「病状日記」は今回は置いといて、今記事では「あったこと」の経緯を綴りました。病気になってしまったら、こんな手続きがあり、こうやって進んでいくんだな、という参考になる為に。いっぽうで、「病気に苦しむ人」というのがどんな日常・気持ちを抱えたり、どうやってそれを生き延びているのかの参考にもなるために<両方>についてをまた、ゆっくり解説、綴っていきたいと思います。

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今回は<状況報告>で長くなりましたので、ここまでにします。

<忍耐は力>大変でも、それでも耐えながら、頑張ったきたので、ここまでこれました。まだ、わたしは自分の「不自由(障がい)」を受け入れ、どのように共に生きていくか。どのように生活を成り立たせていくか。もいろんな課題がありますが、とりあえず、のたれ死なずにここまで生きてこれました。親身になってくださった方には感謝をします。

ここは「吐き出し口ブログ」でもあるのでたまにネガティブな事も、改善してほしいなという本音も、いろいろ書きますが、基本的には<感謝>と共に、前を向いて生きようとしています。人間まるっきり「きれい」で「きれいごと」だけいっているほうが何かわたしには「真実味がない」とも思っています。なので、これからも自分のスタイルは変わないものの(ねくらとか内気とか、やや斜め系とか、w)がんばっていきます。

はじめから心配してお声掛けくださったりした皆様へありがとうございます。自分自身もそうですが「引き離されている母」のことについてもいろいろがあります。これにはまたさらなる困難もありますが、これからも1つ1つの『真実』を遺言のように(わたしは身寄りがないので風化されないように)書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

ちあ


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