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【台北新四国八十八ヶ所霊場石仏探索】48番と55番の石祠付き石仏

2025年3月16日

台北新四国八十八ヶ所霊場48番と55番の石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏と55番石仏

日本統治時代の台湾台北市に台北新四国八十八ヶ所霊場という写し四国霊場がありました。

88の石仏を台北市内各地に置き、日本と同じように多くの人たちがお遍路をしていました。

その時の石仏のいくつかが今でも現存しています。

このページは台北新四国八十八ヶ所霊場陽明山探索編PART3です。

台北新四国八十八ヶ所霊場について良くわからない人は霊場タグの過去記事をご覧ください。

ここでは一定の知識があるという前提で話を進めます。

小祠のある石仏が2つあるという情報

64番の石仏を参拝できた私が次に向かうのは48番と55番の石仏。同じ空き地に安置されています。

48番と55番の石仏については、現存するという情報は以前からあったものの、所在地が不明でした。

しかし2025年1月になって、場所を把握することができました。私が台湾に行く直前のことでした。

場所はこの辺りです。

64番石仏がある場所から距離にして3km程度です。

しかもこの2つの石仏は石祠付きなのです。石祠単体では芝山公園や法船石で見つかっていますが、石祠+石仏になっているものは現時点で他には発見されていません

つまりは非常に貴重な石仏なのです。今回これらを見ることができたのは非常にラッキーでした。

48番と55番の2つの石仏へ向かう遍路道

64番石仏を無事に参拝できた私は再び路口商店に戻り、菁山路に出ました。

福徳宮

福徳宮

途中でまた福徳宮を見つけました。台北の市街地ではあまり見かけませんが、ちょっと郊外に出ると結構あります。

市街地であまり見かけないのは、大きな寺廟に合祀されているためです。

菁山路と格致路合流地点にあるコンビニ

菁山路と格致路合流地点にあるコンビニ

菁山路を進み、格致路(仰徳大通四段)に突き当たるあたりは少し栄えており、飲食店などのお店があります。マックもあるし、コンビニもあります。

お腹が空いた人は何か食べておくと良いかもしれません。

中国文化大学

中国文化大学

中国文化大学の入口を通過します。この道の奥に大学があります。名前からして中国の大学かと思いましたが、実は台湾の私立大学でした。

格致路113巷

格致路113巷

やがて左手に格致路113巷の看板が見えます。小道ですので、見逃さないようにしてください。

この道を少し進むと目的地です。

48番西林寺十一面観世音菩薩石仏&55番南光坊大通智勝如来石仏

48番と55番石仏がある空き地

48番と55番石仏がある空き地

左手にこの空き地があります。2つの石祠が並ぶでもなく、向かい合うでもなく、まるで無造作に設置してあるようにも見えます。

この写真の手前の塀を跨いで空き地に入ります。

この空き地の少し先の民家には犬が複数いて、紐に繋がれてはいますが、ワンワン吠えます。犬が苦手な人は萎縮してしまうかもしれません。

ここは空き地とはなっていますが隣家の敷地、あるいは隣家が荒れ放題にならないように適宜管理しているのかもしれません。

完全に放っておくと南国の台湾ですから、草が伸び放題になってしまうものと思います。

ただ、勝手に入って良いものかはわかりませんが、多くの台湾人も探索のためここに来ており、トラブルがあったという話もないので、参拝はご自由にどうぞということなのかもしれません。

むしろそのために空き地の手入れをしているのかもしれません。

いずれにしろ参拝時は静かに参拝しましょう。

台北新四国八十八ヶ所霊場55番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場55番石仏

石祠付きの55番の石仏です。向かって右側と後ろ側の一部の屋根が破損していますが、石仏自体は破損していません。

手前の丸い台座にも何かあったのかもしれません。

台北新四国八十八ヶ所霊場55番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場55番石仏

台座の部分に微かに文字が見えますが、水鉢に隠されていてよくわかりませんでした。

石祠も文字が消されているのか、何も認識できませんでした。

花立や水鉢は当時のものと思われ、どこかからここに移設されたものと思われますが、いつ誰がどうしてここに移設したのかは現時点では何もわかっていません。

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏と弘法大師石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏と弘法大師石仏

一方の48番の石仏は弘法大師の石仏に並んで安置されており、保存状態も良いです。

こちらも創設時からここにあったとは思えず、どこかから移設されたものと思われます。

弘法大師の石仏はいくつか発見されてはいますが、その数から考えて全ての石仏とセットになっていたとは考えにくく、何らかのルールか意図を持っていくつかの石仏と一緒に安置されていたのだろうと思われます。

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏小祠

石祠の向かって右の柱には台北市建成町と書いてあります。

台北市建成町は現在の中山駅から寧夏夜市あたりにあった町でした。

かつて飲食店がたくさんあり建成円環夜市と言われた場所の跡地、ロータリーの真ん中にある建成円環にその名前が残っています。

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏小祠

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏小祠

左の柱には石祠の施主として河野善作、河野エツ(エノ?)という名前を確認できます。

建成町の河野さんが寄進したのでしょう。この手がかりを元に河野氏についてできる範囲で調べましたが、該当しそうな人物についてはわかりませんでした。

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏小祠

台北新四国八十八ヶ所霊場48番石仏小祠

台座部分には石仏を寄進したと思われる5名の名前が見えます。

ただ確実に読めるのは野間政子さんのみ。右側は朝倉さん、左側3名は横手さんでしょうか。

こちらもこの名前を手がかりに人物を検索しましたが、残念ながら情報は得られませんでした。

しかし、弘法寺の信徒、あるいは台北新四国八十八ヶ所霊場創設時に、賛同し資金を提供した方々だろうと思われます。

台北新四国八十八ヶ所霊場48番と55番の石仏まとめ

台北新四国八十八ヶ所霊場48番と55番の石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場48番と55番の石仏

石祠とセットになっている貴重な石仏を見ることができました。

しかしなぜここにこんなものがあるのかは、現時点では謎です。

最近移設したものとは思えないので、戦後いずれかの時点で、廃棄または放置されていたこの石仏を石祠ごと、ここに移設した人がいたのでしょう。

移設した人に当時どのような意図があったのかはわかりません。

単にこのようなものが好きで、庭に設置してご満悦だったものか、いつかお金になると思ったのか、日本人が大切にしていたので、壊されないよう保存したものか。

しかし結果として貴重な姿のままで現存していたことは驚異的であり、また大変嬉しく思いました。

この後私はもうないかもしれないけど、一応44番石仏のあった場所、そして45番石仏へ向かいました。(続く

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  • この記事を書いた人

NOBU

東京出身、沖縄在住、50代男。個人事業主。
日本統治時代に曽祖父、祖父、父が台湾に住んでいました。台湾は父の故郷です。 このブログでは台湾旅行で得た情報や楽しく快適に旅行できるノウハウなど台湾情報を発信中。
台湾検定 1級 / 台湾華語検定 A1級 / 台北新四国八十八ヶ所霊場研究家 / 台湾雑貨オンラインストア運営
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