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【台北新四国八十八ヶ所霊場石仏探索】45番石仏と弘法大師石仏

2025年3月17日

台北新四国八十八ヶ所霊場陽明山探索編PART4

台北新四国八十八ヶ所霊場陽明山探索編PART4

日本人が創設した写し四国霊場である台北新四国八十八ヶ所霊場。

残された石仏を訪ねる旅、陽明山編の第4弾です。

このページでは、台北新四国八十八ヶ所霊場についてある程度の知識がある人向けに書いていますので、よくわからない人は霊場タグの古い記事から読んでみてください。

今回はかつて公開されていた44番石仏と、弘法大師石仏と並んで安置されている45番石仏を訪ねます。

2017年まで公開されていた44番石仏の現在

44番石仏の画像や映像はネット上に結構存在します。

かつて山頂という名前のレストランがありました。この山頂の店主は台北新四国八十八ヶ所霊場のことを知っており、案内板まで設けて店内の庭に安置して公開していたのです。

山頂レストランがあった場所はここです。

48番と55番の石仏がある場所から歩いて1分。道路の向かい側にありました。

このレストランは2019年2月に建物の契約満了により閉店してしまったようで、それ以降は廃墟となってしまいました。

石仏を大切にしていた店主ですから、きっと石仏は自宅などで保管しているのだろうと思われますが、今のところそれは一般公開されていないようです。

でももしかしたらここにそのまま置いてあるのかもしれない、何とか見ることはできないだろうかと訪ねました。

陽明山山頂レストラン跡地

陽明山山頂レストラン跡地

道路の向かい側から全景を見ると、建物は荒廃し、草木に覆われてしまい、完全に廃墟の様子です。

旧山頂レストラン

旧山頂レストラン跡地

近づいてみると、これはもう完全にジャングルになってしまっています。

台湾北部は亜熱帯気候で、夏は暑く、雨も多い地域でもあり、手入れをしないとこんな感じに草木が生い茂ってしまうのです。

旧山頂レストランの門

旧山頂レストランの門

一応門から中を見てみましたが、門には鍵がかかっており、立ち入り禁止。

門から見る限り、何かの建物が崩壊している様子もあり、そもそもとても入れるような状況ではありませんでした。

どこかから石仏が見えないかなと淡い期待を持って来ましたが、これは無理です。諦めます。残念。

台北新四国八十八ヶ所霊場44番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場44番石仏(facebook

閉店した山頂レストランの公式サイトは閉まっていますが、facebookは残されており、今も当時の44番石仏の画像が上のように残されています。

どういう経緯でこの石仏を手に入れたのかなどは不明ですが、店主のご自慢だったようです。

ちなみに山頂レストランの系列店である山頂蔵海は台北市松山区で営業しています。ここで聞けば何かわかるかもしれませんが・・・。

44番石仏はいつかまたどこかで一般公開されることを期待します。

45番石仏と弘法大師石仏がある場所へ

次に私が向かったのは45番石仏。ここは自由に参拝できるようですし、弘法大師石仏と一緒に安置されているという場所です。

白雲瀑布

白雲瀑布

格致路(陽明路一段)を歩いていると左手に滝がありました。白雲瀑布と言うそうです。

この付近は温泉が沸いており、川の水面にも湯気が立ち込めているところもあります。硫黄の匂いも強いです。

湖山里歓迎您

湖山里歓迎您

「湖山里歓迎您」と言う看板が見えたら目的地はもうすぐ。

余談ですが、湖山里とはこの地域の名前です。

台湾の住所は一般的に例を挙げると、台北市北投區陽明路一段2號と言うように道路名で表記することを知っている人は多いと思います。

でも実はこれ、正式な名称ではないのです。省略形なのです。

本来は「市」の後に「区」、その後には「里」が付くのが正式なのです(地域によっては「鎮」)。

つまり上の例では正式には台北市北投區湖山里陽明路一段2號が正式なのです。

台北など都市部では特に省略されることが多く、地方では使われているところもあります。

また、役所関係、行政関係などの手続き時には正式な住所が使われます。

特に役には立たないと思いますが、ちょっとした豆知識でした。

ここを入っていきます

ここを入っていきます

さて、アパートだか寮のような建物の脇にあるここを入って、道なりに進みます。建物の裏の脇道みたいなところを通ります。

場所はこの辺りです。

建物裏手は崖になっており、崖の上に上がる途中に石仏があります。

台北新四国八十八ヶ所霊場45番石仏と弘法大師石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場45番岩屋寺不動明王石仏と弘法大師石仏

崖の中腹にちゃんとした屋根付きで鎮座しています。

崖をそのまま上がると紗帽路に出ることができます。紗帽路側から入る場合は鉄扉があるので、そこを開けてから崖を下る形になります。

石仏の台座の部分には「台北榮町 鎌埜氏 大正十四年四月」の文字が刻まれています。「埜」と言う字は異体字か旧字体かもしれませんが、これは鎌野芳松を指します。

台北新四国八十八ヶ所霊場45番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場45番岩屋寺不動明王石仏

画面を拡大しないと分かりにくいですが、45番石仏の横には鎌野芳松の名前もしっかりと刻まれています。

鎌野芳松については台北新四国八十八ヶ所霊場の創設時のことを下記で記していますので、未読の人は参考に読んでみてください。

→ 台北新四国八十八ヶ所霊場1番札所台北天后宮の弘法大師像と石仏

鎌野芳松は台北市栄町(現在の二二八和平公園と西門町の間付近)で時計店を営み、弘法寺の信徒であり、台北新四国八十八ヶ所霊場の発起人でした。

彼は発起人の中でも重要な役割を果たしたと思われ、台北西国三十三観音霊場の発起人もつとめ、また丹鳳山にある弘法大師石窟にも関わっていました。信心深い人だったのだと思います。

台北新四国八十八ヶ所霊場45番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場45番岩屋寺不動明王石仏

上の写真の右の階段を登ると紗帽路に出ることができます。

なお、以前にも書きましたが、弘法大師の石仏は88ヶ所全てで一緒に設置されていたわけではなく、何らかの理由でいくつかの石仏の横に設置されたと思われます。

ここ以外にも北投文物館の40番、陽明山の48番は弘法大師と一緒です。

自由に参拝はできますが、おそらくこのアパートか寮の敷地内だと思われますので、参拝時はお静かに。

台北新四国八十八ヶ所霊場陽明山探索編PART4まとめ

台北新四国八十八ヶ所霊場45番石仏

台北新四国八十八ヶ所霊場45番岩屋寺不動明王石仏

44番石仏は残念でしたが、これは想定内。45番石仏を見ることができたので良しとします。

さて、疑問に思っていることをちょっと書いておきます。

台北市内各所に残されたこれらの石仏ですが、四国の札所となっている本家本元の各寺院は台北新四国八十八ヶ所霊場のことをぜひ知ってほしいと思います。

例えばこの45番の岩屋寺の御住職は果たして、自分の寺のご本尊の分身が台湾にあることを知っているのでしょうか?

知っている札所の寺院もあるかもしれませんが、霊場創設時から100年が経過し、代替わりもしていますし、中には全く知らない御住職もいるかもしれません。

何とかもっと認知度を上げて、台北新四国八十八ヶ所霊場のことを多くの人に知ってもらいたいものだと思います。

後日、各寺院のサイトなどでメアドがわかれば、個別に連絡してみようかなとも思っています。

この後、私は消失したという46番石仏があった場所と山の中の小祠にある56番石仏を訪ねました。(続く

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  • この記事を書いた人

NOBU

東京出身、沖縄在住、50代男。個人事業主。
日本統治時代に曽祖父、祖父、父が台湾に住んでいました。台湾は父の故郷です。 このブログでは台湾旅行で得た情報や楽しく快適に旅行できるノウハウなど台湾情報を発信中。
台湾検定 1級 / 台湾華語検定 A1級 / 台北新四国八十八ヶ所霊場研究家 / 台湾雑貨オンラインストア運営
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