マヤカレンダーには、いくつもの「神話的・秘教的」な仕掛けが組み込まれています。

 

 

皆さんは「よくわかんないなー」と思うような本をお読みになったことはありますか?

 

ここでいう「わからない」とは、その本が語ろう、伝えようとしていることがよくわからなくて、文字通りに受けとってしまうと、邪路に踏み入ってしまって、よくわからなくなってしまうという意味の難解・わからなさです。

 

 

 

 

 

たとえば聖書や経典、マヤ神話、あるいはユング心理学にも貢献した「錬金術」の書などのように、比喩を使って表現されているような書物は、真意は理解され難いものです。

 

「何のために生きているのか」

「なぜこの仕事をするのか」

「愛とは何か」

 

根源的な問いをもって生きているとき、人は世界の境界で苦しみ続けています。

 

精神的な格闘があって、嫌というほどの現実を突きつけられ、考えただけでは答えが出ないラビリンスのなかで、門を叩き続けます。

 

そのようなとき、本質的な問いに霊感や直感を与えてくれるような、普遍的で価値ある本やおとぎ話や神話に出合うことで、扉を開く鍵が与えられたりします。

 

 

「わからない」に格闘してしまうと、その鍵が得られなかったりもします。

 

 

古代マヤ暦の奥義や神話には、そのような場面で助けになる「暦」それ自体に隠されている秘教的な物語りがあります。

 

自らを縛っていた境界を越えて、外へ飛び出してみる、爆発してみる、壊れてみる、自由に思ってみる、感じてみる、ことが大事です。

 

 

そのとき「わからなさ」への応答として、何かが開示され、それらしきものが認識できるようになるのだろうと思います。

 

 

マヤアステカ文明の叡智とは、そのようなものなのです。