【ファッション今昔物語③】ディスイズDCブランド狂騒曲!!!

その他
これは、かつてファッション界に起こった象徴的な出来事や製品などを思い起こし、紹介していくものです。
三回目の今回は、1980年代に日本で、大流行した
DCブランドブーム
そのブームについて書いていきたいと思います。
控え目に言って、狂おしく流行っていましたね。
その、DCブランドブームからみる現代ファッションの紐解き、そして、
毎日のスタイリングのちょっとした後押しみたいなものになれば、
本望でごじゃります。
※スタイリングの後押しにはならないと思います(笑)
さて、50歳以上の方、バブルを体験した方、フジテレビの夕焼けにゃんにゃん
を観ていた方などは、ドンズバな世代で、いちいち説明などいらないでしょうけど、

DCブランドとは

 

Dは、デザイナーズの略で、Cは、キャラクターズの略です。

完全なる和製英語らしく、想像するに、テレビとか雑誌かなんかで、誰かが言い出しだんでしょうね。

 

このブームを作りあげたのは、新進気鋭のデザイナーたちで、

大きな工場とかではなく、小さな部屋の一室で、こじんまりと、

それでいて、高級かつ、こだわりぬいた服作りをはじめ、様々なブランドが生まれました。

 

このあたり、少し前の、裏原宿ブランド隆盛とか、それよりもむしろ、今の

ドメスティックブランドが数多く誕生している現在と似ていると思います。

 

背景

 

DCブランドブームの前の日本というのは、1960年代からの、いわゆるVANJUN

アイビールック時代が長く続き、70年代からのレナウンとか、オンワード樫山とか、

既製服量産型ブランドが主流になっている一方、

そのカウンターで、少量精鋭のDCブランド

出てきた感じなんでしょうね。

 

日本の社会的には、バブル期に差し掛かったところで、数多くのファッションビルが

出来つつあったというのも、DCブランドブームに拍車をかけたともいえるでしょう。

 

※卵が先かニワトリが先か的ではありますが・・・

 

日本という国の成長も相まり、フッションに興味を持つ人々が増えていったタイミングも

この時期です。

 

また、丸井の赤いカードがこの頃に出始め、クレジット文化黎明期だったことも、大きな

意味があったでしょう。

 

貧乏をして、洋服を買う人達がいっぱいいたそうです。

 

※1986年に発売された、「やや」さんの「夜霧のハウスマヌカン」という曲の歌詞を

みると、とても沁みます。

 

=ハウスマヌカンとは→アパレルの店舗で自社の製品を着て、スタイリングのアドバイスを

する販売員のこと。

 

 

どんなブランドがあったのか

 

では、そのDCブランドラプソディを繰り広げたブランドってどんなブランドってことなんですが、

そりゃもう、履いて捨てるほどありましたね。

メンズビギとかメンズメルローズパーソンズタケオ・キクチフィッチェ・ウォーモ

ピンクハウスブルーオンピンクニコルワイズコムサデモードコムデギャルソン

ロッゾパルシーノパッゾなどは覚えていますが、こんなもんじゃなくって、おびただしい

数のブランドがキラ星のごとくありましたね。

コムデギャルソンがこれくらいの時期から活躍して、いまなお輝きまくってるのが凄まじい

ですよね。

 

僕のDCブランドの思ひ出

 

当時を思い返すと、学校では、不良も善良も、全員がDCブランドを欲していましたね。

そして、記憶に強く残っているのは、各ブランドの商品を買った時に入れてもらえる

袋ですね。それが、とても綺麗な袋で、紙袋じゃなくって、ちょっと上質なビニール

で出来ていて、その袋を部屋に飾りまくってる人とかもいましたね。

DCブランドのバーゲンに、徹夜で並んだりする人たちもいて、社会現象にも

なっていましたね。

僕は、中学生だったので、収入も無く、親に頼み込んで買ってもらっていました。

それを購入してもらった時の高揚感といったら、中々、言い表せない程の喜びでしたね。

結構、高価ですから、高価な物を身に着ける喜びと、カッコ良いと言われるものを

身につける喜びは、ひょっとしたら、僕のファッションの礎の体験だったかもしれませんね。

 

※ただ、その時と金額感を比較すると、現在のドメスティックブランドの方が、

価格としては、高いような気もしますね。

 

そして、テレビに出ているタレントは、全員DCブランドを着て出ていましたね。

番組終わりの衣装協力のテロップには、ブランドのロゴがたくさん出ていたのを覚えています。

 

スタイルとしては、今思えば、よく言えばバリエーションが多いというか玉石混交

悪く言えば、大きなストリームが無い感じでしたね。方向性が全く違うというか

ベクトルがバラバラ。

それが、現在の日本で勢いのある数々のドメスティックブランドとの違いですかね。

ただ、スーツスタイルでいうと、オーバーサイズのソフトスーツでパンツは、

ヤンキーが履くボンタンスリムでしたね。安全地帯の玉置浩二スタイルでしたね。

こういうところが、不良にも善良にも好かれた所以なんでしょうね。

 

 

DCブランドブームの終焉

 

それだけの大ブームを作り上げたDCブランドブームですが、経営元は、そりゃもう、儲けまくった

ことでしょう。そのことで、企業自体が、服を作ってるだけではなく、様々な事業に手を出して

いったみたいですね。自分のブランドの冠をつけて、何かを売ったり、ブランド名を売り物に

していったみたいなんです。それにより、巷には、いい物もあんまりカッコ良くないものも、

ブランドの冠をつけて、溢れだし、いつしか、少し鬱陶しい感じになってしまったようですね。

 

※一時期、コムサデモードとかかれる品物がめちゃめちゃ溢れてましたよね。

 

そいうこともあり、確かに、廃れていくスピードは速かった気がしますね。

 

まあ、あれだけ大きなブーム、大きな成長曲線を描いたものは、カウンターで、廃れるのも

速いのかもしれませんね。あの光GENJIも廃れるスピードはハンパなかったですもんね。

そんな感じでしょう。

 

そして、インポートブランドの台頭がやってくるって感じですね。

 

DCブランドまとめ

 

日本社会を巻き込んで、フッションだけではなく時代のトピックスとなった、

DCブランドブームですが、今、それを着ろって言われたら、絶対に着たくない

って思います。

これは、渋カジのブームと異なる所だと思います。

 

 

ただ、日本のファッション史の中になくてはならない出来事であったのだと思います。

このDCブランドブームがあったからこそ、裏原宿もあったし、現在の精度の高い、

ドメスティックブランドの潮流も作られたのだと思います。

現在のドメブラの服が、DCブランドの時の様に、一瞬で凋落するとは思えないですし、

日本という国のファッションの成熟がある一定の所まで到達することが出来たのも、

このブランドブームのお陰でもあるし、成熟したことにより、ドメブラが一瞬で凋落

しないものになっているんだと思います。

このDCブランドブームというラプソディがあったからだと思います。

DCブランドブームありがとう!!!!!!!!!!!

ちょっと、メンズビギとか着てみたいと思いました。

 

 

最後までお付き合いありがとうございました。

※ここで書かれていることは、事実に基づいて記載していますが、情報が不確かなものも

ございますので何卒ご了承ください。

 

 

 

 

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