昼、ふとしたドラマのセリフが心を揺さぶった。

その物語の主人公は、ボクシングの特待生として大学に進学し、

試合中に網膜剥離を起こし、オリンピックの夢を断念せざるを得なかった。

友人たちの支えで教師の道を歩み、結婚も果たしたが、わずか1年後に妻を病気で亡くす。

その後、妻の思い出に、焼き鳥店を開業したが、コロナ禍で店は閉鎖せざるを得なくなった。

主人公は48歳で、この状況下で生きる気力さえ失っていた。

しかし、あるきっかけでボクシングのコーチを始めたこの主人公の彼の一言が、

私の胸に響いた。

 

「48歳でこれは、さすがにキツイ。でも、後ろばっか見てたって意味ないですよ。生きていかなきゃいけないんですから。しっかり前見なきゃ生きていく理由なんて見つかりませんって。」

 

その言葉は、自分に語りかけられているように感じた。

病気を発症した当初、私は、正直彼ではないが、生きる気力なんかなかった。

 

「マジか…。さすがにここまで生きてきてこれかよ…。」

 

痛みに襲われながら、そんな思いが頭をよぎる日々ばかりだった。

 

病気に関する偏見の中で、私の心は絶望しかなかった。

 

追い打ちをかけるように、

気分転換のつもりで野球観戦に行ったとき、
大柄の男性が球場内から投げ入れられるノベルティ欲しさに飛び込んでぶつかってきたおかげで、頸椎は一日中しびれたままの生活になり、痛みが悪化することになった。


何もかもが本当に嫌になっていた。

そんな中での友人たちの支えがほんとうにありがたかった。

 

-古着巡りに誘ってくれた友人、
-食事を作りに来てくれる友人

-バスケットボール観戦に連れて行ってくれた友人、

彼らのおかげで、私は少しずつ前を見るようになった。

 

現状、線維筋痛症は完治は難しいとされいる。

 

「線維筋痛症だからって後ろ向いてても、この病気は治らない。だから、痛みがデフォルト状態であろうが、その中でどう生きていけるかを考えながら生きていこう。」
今は、彼らのおかげでそう思えるようになった。

 

どんな状態であれ、生きていかなければならない。

生きる意味っていうのは、まだわからないけれども。

 

なんかそんなことを思ったドラマだった。

 

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処置

- 星状神経節ブロック

- ブロック注射 頭部、頸部、背中、腰部 (24か所)

 

 

処方薬

- ロコアテープ 1回/日 → 疼痛用

- ミグシス 2回/日 → 頭痛用(予防用)

- ボルタレン 2回/日 → 疼痛緩和用

- マクサルト → 頭痛頓服薬 

‐ サイトテック錠 2回/日 → 胃腸粘膜保護用

- メトクロプラミド錠 3回/日 → 吐き気止め

 

 

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