Bing

加茂岩倉遺跡2024年04月23日 00:16

加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)は島根県雲南市(旧加茂町)町にある弥生時代の遺跡である。

概要

加茂町は斐伊川の支流の赤川が東西に流れ、東西6.4km、南北6.8kmとほぼ四角形の四囲を山に囲まれた盆地である。 1996年(平成8年)10月14日午前10時頃、加茂町のふるさと農道整備事業大竹岩倉地区農道整備工事の工事中、偶然に銅鐸が出上した。10時頃重機のバケットの中に数個の銅鐸が入っているのに気づいて作業を中止し、作業をしていた高台から斜面下を覗くと下の水田や道路に多数の銅鐸が転げ落ちていたという。それらを水田の畦に並べて置き、バケットの中の銅鐸は取り出して高台の工事現場の片隅に寄せ置き、会社に連絡を取った。 掘り出された銅鐸は27個、銅鐸発見の際に重機の掘削によりできたバケット坑の北側に鰭を立てた埋納状態の銅鐸が2個、南側には倒れた状態で鰭と裾の部分を覗かせててる銅鐸2個があり、土中に埋まっている銅鐸は計4個を確認し、総数は31個であった。その後、12月30日、銅鐸の入れ子が発見され、銅鐸総数は39個となった。中型銅鐸が20個、小型銅鐸が19個である。 大岩山遺跡(滋賀県野洲町)の3カ所からの24個、神岡桜ケ丘遺跡(神戸市)の14個を上回り史上最多の出土数となった。 破片の数は部位のわかるものから米粒大のものまで百数十点が採取された。土器は出土しなかった。埋納坑以外の遺構では土坑1つが検出された。銅鐸は山頂から少し下がった南向きの丘陵斜面中腹に埋納されていた。身の主文様は、流水文、四区袈裟欅文、六区袈裟欅文のいずれかであった。 2008年03月、国の文化審議会は、加茂岩倉遺跡出土銅鐸39個について重要文化財から国宝へと格上げすることを答申した。

調査

同笵関係

他の遺跡の銅鐸と同笵関係が複数発見されている。

加茂岩倉遺跡出土の39個の銅鐸のうち15個8組は、同笵関係にある銅鐸が判明している。4・7・19・22号鐸は、和歌山県太田黒田鐸と同笵である。5号鐸は、兵庫県気比2号鐸と同笵である。31号、32号、34号鐸は、兵庫県桜ケ丘3号鐸、鳥取県上屋敷鐸と同笵である。17号鐸は、奈良県上牧鐸と同笵である。21号鐸は、伝大阪府陶器出土鐸、兵庫県気比4号鐸、伝福井県井向出土鐸と同笵である。

広域の交流

弥生時代に島根と和歌山、大阪、奈良、兵庫と広域の交流があったことは、銅鐸が物語る。

遺物

  • 銅鐸39
    • 中型20小型19、
    • 外縁付鈕1式銅鐸19
    • 外縁付鈕2式銅鐸9
    • 外縁付鈕2式から扁平鈕1式銅鐸2
    • 扁平鈕2式銅鐸6
    • 扁平鈕2式から突線鈕1式銅鐸3

指定

  • 1999年(平成11年)1月14日 国の史跡に指定
  • 1999年06月07日 重要文化財 指定
  • 2008年07月10日 国宝  指定:

時期

  • 弥生時代

展示

  • 島根県立古代出雲歴史博物館

アクセス等

  • 名称:加茂岩倉遺
  • 所在地: 島根県雲南市加茂町岩倉字南ヶ廻837-11
  • 交通:

参考文献

  1. 島根県加茂町教育委員会(1997)「加茂岩倉遺跡発掘調査概報I」
  2. 文化庁(1997)「発掘された日本列島 '97新発見考古速報」朝日新聞社

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2024/04/23/9678143/tb