Goshuinnistの神社巡り

Goshuinnistの神社巡り

ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:武田神社

御祭神:武田信玄公

社格等:県社・別表神社

鎮座地:山梨県甲府市古府中町2611 

最寄駅:甲府駅

駐車場:154台分あり

御朱印受付時間:9時00分~16時00分

公式サイト:http://www.takedajinja.or.jp/ 

 

御由緒

 武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀り申し上げております。

 信玄公はあらためて申すまでもなく、我が国戦国時代きっての名将であります。大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。

 而して、現在でも県民こぞって「信玄さん、信玄さん」と呼びならわし敬慕の情を表し、郷土の英雄として誇りともする所以であります。

 大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。

 爾来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成11年にはご創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」のご造営を始めとして各種記念事業が展開されています。

 

武田大神様の御利益

 甲斐の国の守護神であるばかりではなく、やはり「勝運」のご利益が挙げられます。勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」というご利益を戴かれるとよいでしょう。

 また、農業・商業・工業を振興されたことから産業・経済の神としても信仰を集め、民政の巧みさから政治家の方々からもまさに神として祟敬を集めております。

 

 武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。

 館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せます。また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれております。

公式サイトより

 

御朱印

 初穂料:各500円

見開き御朱印/立ち姿

見開き御朱印/座り姿

 

御朱印帳

黒地に信玄公の身につけていた甲冑と家紋、裏表紙には富士山と軍配が刺繍されたデザインのオリジナル御朱印帳を用意。サイズは16cm×11cmで、初穂料は1,700円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

甲府駅から真っ直ぐに伸びる武田通りの先に鎮座。
 
社頭右手には、時の明治神宮宮司が揮毫した社号碑。
 
鳥居前には一対の狛犬。
 
大きく胸を反らし凛々しい姿に思える。
 
途中、参道を振り返ってみると見事な景色を楽しむことができる。
 
境内を進むと拝殿前に二之鳥居。
 
大きくバランスの取れた立派な拝殿は大正八年(1919)の創建当時のものが現存。
 
拝殿右手には、武田信玄公の代名詞ともいえる「風林火山」の盃が奉納。
 
大きな舞殿。
 
当社を含めた周辺は桜の名所として知られ、春には多くの参拝者で賑わう。
 
当社の御神木である榎の木。この木を用いて縫製された鉛筆が受験生から人気を博している。
 
参道途中には右近乃橘と左近乃櫻。
 

ひな祭りの際に目にするお馴染みの光景である。

 

参拝を終えて

戦国時代に活躍した武将として名高い武田信玄を御祭神として祀る当社。その出身地である山梨県では県民の英雄的な存在となっているが、その他の地域ではあまり名前が挙がらないのが日本史好きな筆者にとっては少し残念なところではある。しかしこのように祀られることによって地域で著名な人物を後世に残すという意味では筆者の地元にはこのような神社はないだけに、とても意義深く感じられた。

 

地図

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基本情報

神社名:神鳥前川神社

御祭神:日本武尊・弟橘姫尊

相殿神:伊弉諾尊・伊弉冊尊

社格等:不明

鎮座地:神奈川県横浜市青葉区しらとり台61-11

最寄駅:田奈駅・十日市場駅

駐車場:表参道/4台、裏参道/8台、境内上/6台

御朱印受付時間:9時00分~16時00分

公式サイト:https://www.shitodomaekawa.com/

 

御由緒

 天正十年(1582年)火災により社殿が焼失し、当時この地を治めていた上杉景虎(謙信の子)が社殿を新しく建立寄進し、かつ毎年春秋の上納金より三貫文を社料として免租するという内容の古文書が残されて居ります。
 また、現在八坂神社、 稲荷神社としてお祀りされている旧本殿はその後再建されたものであり、拝殿及び覆殿は文化九年(1812年)当時 の地頭岡本玄治法眼を始め橋本、船橋宋迪、朝岡、星合鍋五郎等の寄進で再建せしものであると棟札に記されて居ります。
 明治43年12月23日、当所曲り坂7439番地(現・しらとり台第三公園付近)に祀られていた 無格社・神明社祭神伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)を合祀するに際し、拝殿が手狭になるため、 本殿を拝殿と別棟の覆殿下に収め、同時に玉垣・舞殿・社務所等の改修を計画、着工致しましたが覆殿の造営が予定通りには完成せずに終わり、 その後昭和29年に、茅葺屋根を腐食防止のため金葺にする工事が施されました。
 その後昭和63年5月に現在の神社殿の建設・御遷座が行われ現在に至って居ります。

公式サイトより 

 

御朱印

 初穂料:500円

 

境内案内

田奈駅からは徒歩10分ほど。田畑が広がるのどかな一角に鎮座。
 
「神鳥」と書いて ”しとど“ と読むのは初見では難しいであろう。
 
鳥居の先は鬱蒼とした鎮守の杜が広がる
 
狛犬は目がキリッとした岡崎現代型。
 
吽形は子持ち。
 
社殿までの動線はバリアフリーとなっており、お年寄りや体が不自由な方でも参拝しやすい。
 
社殿脇には稲荷社へ続く千本鳥居.
 
その先の社殿は伏見稲荷社と八坂神社の合祀となっている。
 
稲荷社の隣には富士山の形を模した富士仙見社。
 
仙見社の手前には子産石があり、安産を祈願する方の奉納が多数あった。
 

参拝を終えて

田奈・青葉台総鎮守の当社。神鳥前川という社名は故事成語に由来するという点が面白い。横浜市内にありながら神社周辺は畑などのどかな雰囲気が広がっており、まるで時代がタイムスリップしたかのような錯覚を起こすようだった。境内の導線には階段が少なくバリアフリーとなっており、地域の鎮守として篤く崇敬を受けていることが窺える。

 

地図

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御朱印帳画像

 

基本情報

拝受神社名:大洗磯前神社

拝受日:2024年5月3日

サイズ:16cm×11cm

初穂料:2,500円(朱印料別)

 

御朱印帳について

メディアで多く取り上げられる鳥居から望む「神磯の日の出」をデザインした当社らしいもの。神社曰くこの光景は夕日と間違われることが多いとのことだが、朝日である。昼間の様子をデザインしたものもあり、こちらは朱印料込みで2,000円。

 

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基本情報

神社名:亀岡八幡宮

御祭神:応神天皇

社格等:村社

鎮座地:神奈川県逗子市逗子5-2-13

最寄駅:逗子駅・逗子・葉山駅

駐車場:なし

御朱印受付時間:八雲神社に準ずる

公式サイト:ー

 

御由緒

 勧請の年月は明らかではないが、「新編相模風土記稿」によれば「八幡宮、村の鎮守なり、延命寺持」とある。古老の言によると、昔は真言宗延命寺が別当として管理し、御神体は常には同寺に安置され、大祭にあたってこれを奉持し、行列を連ねて社殿に遷し、祭儀を執行するのが例であったと伝える。明治維新の神仏分離令により同寺の管理から脱し、明治六年十二月、村社に列せられ、正式に逗子の鎮守と定められた。社号は、古くは単に「八幡宮」と称せられたが、昭和二十八年十月、宗教法人亀岡八幡神社として登録され神社本庁に所属したが、常には古くからの慣習で「亀岡八幡宮」と呼称する。

 亀岡の称については、当社の境内は、公の地籍上「高畠」という小字になっており、なだらかな岡で、亀の背中のようであったというところから、鎌倉の「鶴岡八幡宮」に対し「亀岡八幡宮」と名付けられたものである。

 社殿は、大正八年十二月、「神饌幣帛料供進神社」に指定されたことを記念して、大正十二年二月、現社殿が新築され、その年九月一日の関東大震災に遇ったが辛うじて倒潰を免れ、修覆を加えて現在に至っている。

 境内は、もと官有地で、一一一八坪あったが、県道改修のため一二一坪が道路敷に編入され、後更に逗子警察署建設の敷地として二四七坪を接収され(現在は市役所用地になっている)残り七五〇坪が、昭和二十六年五月九日、神社境内地に編入され現在に至っている。

神奈川県神社庁より

 

御朱印

初穂料:300円
八雲神社にて授与

 

境内案内

逗子駅と逗子・葉山駅とのちょうど中間地点に鎮座。隣には市役所もあるので、参拝者が絶えない。
 
拝殿前には一対の狛犬。
 
はにかむような表情がなんともかわいらしい。
 
社殿は大正十二年(1923)に造営され、関東大震災を乗り越えたもの。
 
拝殿前には当宮の「亀岡」にちなみ、亀の像も置かれている。
 
境内左手には萬榮稲荷大明神。
 
参道に奉納された旗から、こちらも地元の崇敬が篤いことが窺える。
 

参拝を終えて

逗子駅前や逗子市役所など市の中心街に鎮座する当社。逗子駅や逗子・葉山駅などからもほど近く平日休日を問わず参拝者が絶えない。鶴岡八幡宮の鶴に対して亀岡八幡宮と命名され夫婦神社の雰囲気も感じさせる。現在は八雲神社の兼務社となっているが、境内は常に清潔に保たれており、良き地域の鎮守である。

 

地図

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基本情報

神社名:芝東照宮

御祭神:徳川家康

社格等:郷社

鎮座地:東京都港区芝公園4-8-10

最寄駅:芝公園駅・御成門駅・大門駅・赤羽橋駅・浜松町駅

駐車場:社頭に1台分あり

御朱印受付時間:9時00分~16時30分

公式サイト:https://www.shibatoshogu.com/

 

御由緒

 当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。
 当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
 安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。
 死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。

公式サイトより

 

御朱印

初穂料:500円
※御朱印を拝受すると日光杉並木古材を使用した「道中安寧守」が戴ける。

 

御朱印帳

当宮オリジナルの御朱印帳や日光東照宮のオリジナル御朱印帳など多数の種類を用意。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

増上寺の真隣に鎮座。敷地内からは東京タワーを望むことができる。
 
入口には「東照宮」の社号碑。
 
その先には一対の狛犬。
 
天明八年(1788)奉納のもので、非常に凜々しい姿をしている。
 
その先には大きく立派な鳥居。
 
現在の社殿は鉄筋コンクリート造りにて昭和四十四年に再建。小さいながらも存在感がある。
 
境内左手には戦災から御神体を守ったとされる葵の井戸が残る。
 
境内には梅が多く植えられており、境内の景観ともよく合う。
 
このように東京タワーと絡めて撮影するのも非常によい。
 

参拝を終えて

増上寺境内にある東照宮。徳川家康公の遺言をもとに創建された宮で、神社というよりかは墓所のような雰囲気も感じさせる。遠くには東京タワーを望むことができ、春には芝公園の梅と合わせて綺麗な光景を見ることが出来る。増上寺境内にあるもののこちらまで足を運ぶ方々は少ないが、綺麗な景色を楽しむことができるので、ぜひこちらも参拝してほしいと思う。

 

地図

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