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出口王仁三郎と耀盌(ようわん)について




耀盌(ようわん)というのは、20世紀最大の霊能者、予言者、宗教家としてご活動され芸術家でもあった出口王仁三郎氏が昭和19年12月末から1年3か月の間で3000個以上作られたお茶碗です。


出口王仁三郎さんの本名は、上田喜三郎。幼少期より特別な霊能力を持ち26歳の時、神様の導きにより1週間の霊的修行を行い、その後啓示により出口なおさんと出会うことになり、なおさんの娘さんと結婚することで養子となります。


出口なおさんは、55歳の節分の日に突然、艮の金神(国常立尊)と言われる神さまが懸かり、極貧で字も書けなかった方が以後、ひらがなで神様の啓示を昇天までの27年間に半紙約20万枚をお筆先として残された方です。その中で「おにさぶろう」という名前を授かったそうです。


お筆先を元に大本(おおもと)という宗教をはじめることになり、出口なおさんを輔(たす)け、大本の基礎を築かれたのが出口王仁三郎さんでした。王仁三郎さんは、天界の情景を見たものを口述筆記された霊界物語を81巻だされ大本の経典とされています。


そうした中、平和を願い茶碗作りを大正15年2月から約10年間の間に5〜6万点作成されていたそうですが、第二次大本事件の弾圧によりほとんどを没収され壊されたそうで・・・。


第二次大本事件で逮捕され6年8ヶ月収監されていた中、頭の中で3千個以上の楽焼茶碗をデザインされていたと聞きました。


そして自身の予知どおり昭和17年に無罪で保釈され、7年ぶりに帰って来られると、大切にされていた初期の茶碗は一つ残らず粉々にわられていたそうで、それでも、愚痴もこぼさず、恨みごと一つ言うでなく、ただ『もう一ぺん造る』とだけ言われ晩年の茶碗つくり(これがのちに耀盌と呼ばれる)に励まれたそうです。


耀盌は、戦時中の原材料が少ない中、かき集めた土などで何とか手造りで、全霊を指先に集中して、一指、一指から、土の一塊一塊に念力を移しつつ、その一瞬一瞬に、地の上に神の国をさだめまつる祈りをこめて、たんねんに形造られました。


そこには、一念一突、「かんながらたまちはえませ」(神様の御心のままにお導きください)という言霊を込められながら無数の小さな穴を打たれたそうで『この楽焼一つ作るのにも二千遍のかんながら(惟神)の言霊をこめ、火と水と土と、それにわしの霊の力が入ってできたんや。そやからこれがほんまの玉やで、いまお前らわろうとるが、いまに宝になるのや』と命をこめて造られた楽焼でしたが、そばに人が来ると惜しげもなくあげられたそうです。


その楽焼たちは、いつしか 「耀盌 (輝くようなお碗)」と呼ばれるようになります。それを手にした信者たちは、まさに「宝」[玉」として崇めたため、その後なかなか世に出ることはありませんでしたが、それもまた王仁三郎さんの計らいだったのではないでしょうか。


人の心が荒び、世の乱れが極まった現代・・・人間全てが魂の「大峠」を超えて「みろくの

世」を招来しなければならないこの21世紀になって、一部の耀盌たちは信者の手を離れて自由に旅をすることになったのです。


きっと王仁三郎さんは、宇宙の真理、神の叡智は言葉では納めきれないことを悟り、エネルギーとして耀盌にしたためられ未来の我々、21世紀に生きる我々のために、真に必要な情報を残されたのです。


その情報は、耀盌にお水を入れることで転写水となり、水という情報伝達物質によって私たちの体にインストールされます。私たちの体のほとんども水ですから、一瞬のうちにその情報=波動は共鳴します。


そこには例えば文字情報に対する 「解釈」のようなものは存在しません。まさに完璧な情

報伝達方法です。こうして、神さまの意志と王仁三郎さんの意志を受け継いで耀盌を2個持つことになられた富士山の麓に住むある先生とご縁をいただくことになります。


文中の表現については、大本のホームページと富士山の先生からお聞きしたことを参考にまとめさせていただきました。HIRO





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