うちには思春期の子供たちがいる。娘と息子。
で、たまに「これ言った方がいいのかな?」と迷う時がある。
子を見ていて氣になった事とか まあいろいろ。
今までは言ったり言わなかったり、そのうちこっちが忘れたりして
特に決め事もなかった。ようはテキトーだった。
けれど、もうこれからは「言うのやめよう」と思って。
そう思わせるキッカケになった会話がある。
ある日の晩御飯どきの息子と私。(息子:青文字)
「学校で友達と遊んでたら ほにゃららな出来事があって、
なんかオレ罪悪感感じたわー」
「罪悪感かあ。それって息子くんが感じなくてもいいんちゃう?
友達は好きでそうしたんやろ?」
「うん‥‥まあ。」
「そもそも罪悪感ってママいらん感情やと思うわ、
支配層にとっては都合のいい感情らしいけど。」
「そんな事言われても感じたもんは感じたんや、
ごはん食べてる時にそんな話せんといて。」
「そんな話って普通の会話やん。
ほんだらママは天氣の話だけしとったらええんか?」
「そうや。」
「‥‥‥。」
もうね、親がうるさいんです。
息子は単に今日あった出来事や思いを言っただけなのに、
母親は共感もしてやれず、自分の考えを押しつけてるような絵図‥‥
私ね、実はこの時イヤやったんです。
息子に罪悪感みたいな「こびりついたら取れにくそうな感情 」が付くのが。
罪悪感ってなんか重そうで宗教チックだし‥‥。
けどそれは私の勝手な思いで息子には関係ない。
結局この一件で「もう子供にいらんこと言わんとこう」と決めた。
お互いにイヤな思いするだけやもん。
タイムリーな事にこのころ、似たような事を発信されてる
ある母親の記事を見つけて より気持ちが定まった。
言わなくていいんだ!みたいな。 単純 〜 (^。^)
( 記事は最後に貼らせて頂いてます)
教えることなんて何もない。
こっちも学びの途中で何も知らんのに、何を教えるって言うんだろう。
現場も違うし性格も時代も得手不得手も違うのに。
なにより自分で見つける楽しみってものがある。
それを奪ってどうするの。
娘に対しても一緒。
みんなそれぞれ必要な経験、体験をしてるんだから、
ほんなもん放っておけばいい。
向こうから相談してきた場合は別やけど。
それはそうと、その記事で
「突発的に口をついて出た言葉はOK、
それこそが必要な言葉やったりする」
みたいな意味の事をおっしゃってたけど妙に納得した。
エゴ(思考)を通してないもの。
とにかく迷いがなくなってうれしい。
すんごい楽になった。
こちらがその記事ですが、
私は非二元(ノンデュアリティ)に興味があるので
それに沿った内容となっています。↓
ありがとうございました。