社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(308) 街歩き 大塩の乱槐(えんじゅ)跡から天満宮、そして、東寺町界隈

 

 

 

 

 

 

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堺筋線谷町線 南森町駅を起点に




南森町駅を降りて、まず大塩平八郎の乱・槐(えんじゅ)の跡に寄って、天満宮に。
逆回りに歩いた。

 



槐(えんじゅ)跡は、造幣局の北側の国道1号線沿い南側にある。

               

1837年、大塩平八郎の乱の始まりは洗心洞(大塩の私塾)からの大砲の砲撃。一発目は向かいの与力宅に向け撃たれ、裏庭の樹齢二百年の槐(えんじゅ)の木に当たり、裂けた。その後も木は生き続けたが、1984年、車の排ガスの影響により枯死してしまい伐採された。2001年に碑の横に槐の木が植えられた。


天満宮 「天満(てんま)の天神さん」で親しまれる。
享保の大火(1724年)に全焼。再建されたが、さらに、1837年の大塩平八郎の乱で本殿、多くの社殿が焼失した。その後1845年に 再建された。大阪空襲の被害からは免れた。

 

 

   

境内の登龍門。


大将軍社。当地の地主神。菅原道真大宰府への途中、立ち寄り参拝したのが縁で当地に天満宮が祀られ、大将軍社は摂社となった。

  ※  摂社(読み)セッシャ デジタル大辞泉

   本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社。
   本社と末社との間に位し、本社の境内にあるものを境内摂社、
   境外にあるものを境外摂社という。


       


天満天神 繁昌亭。天満宮を北に出たところに。

 


天神橋筋商店街を北に歩き、東寺町に。寺町通り沿いに、お寺が並ぶ。

善導寺

        

 

栗東

              


実珠院

 

         


九品寺

 

            

 

瑞光禅寺

    

 

龍海寺
適塾緒方洪庵・八重夫妻の墓がある。ここには、陸軍の創始者といわれる木村益次郎の足塚もある。適塾の塾頭であった、木村の遺言で。 


 

25度の夏日であったが、午前中の街歩き、日陰を選んだので、ほとんど汗もかかなかった。約2時間のウォーキング。
「昨年11月の鵞足炎前の状態に戻りたい。戻る 」との一念で、足をいたわりつつではあるが……

 

 

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