神仏はよく「焦らない」「比べない」と言います。
それは神仏を感じるときの、よくあるつまずきポイントの一つでもありますし、
生きる中での不要な苦しみや、悲しみを解消させるものでもあります。
私が講座やブログを通して感じるのは、みなさんどなたも神仏との思い出を持っているということ。
神仏とのご縁が全くない人はいなくて、認識できないのは、正しく理解する過程のどこかで滞っているだけ。
講座やブログでさせて頂いているのは、その滞りや誤解をひもとく頂くこと。
滞りが解消されたり、情報を整理するだけで、まるで霧が晴れるように、神仏との思い出や高波動を認識できるようになります。
神仏を感じるとき、季節や自然を感じるようにとらえるのをおすすめしています。
それは神仏の波動は色彩豊かで、いろいろな側面をお持ちだから。
その日の私たちがどの姿を見せてもらえるのかは、そのとき次第。
晴れの日もあれば、曇りや、雨の日もある。
それをどのようにとらえられるのかは、神仏のご機嫌ではなく、私たちのコンディションが反映されています。
ですから、誰かが「厳しい」と言っても、その他人の感想が自分にぴったりと当てはまるとは限りません。
神仏と私たちは、一対一の関係です。
神仏と自分との関係は、自分だけのもの。
他人が入る余地はなく、それぞれ違って当たり前なのです。
みなさんそれぞれに、神仏とのご縁の形や色をお持ちです。
同じ日時に、同じ境内で過ごされたとしても、みなさんそれぞれに神様との絆を深めているので、全く同じ感想や思い出を持たれることはありません。
そして、そのときどきによっても私たちのコンディションは変わるので、
同じ人が同じ神様に会いに行ったとしても、その印象は毎回がらりと変わることもあります。
例えるなら、水に落とした絵の具を見るようなイメージ。
水の中にたゆたんでいる色彩の、どの部分を、どの方向から見るのか?
あなたの魂がどの色に反応するのか?
季節が変われば空の色も、高さも、匂いも、音も、温度も変わります。
霊的な感覚とは、そういうもの。
有名な誰かと同じ感想になる必要はないし、
「同じように感じよう」「同じ経験を得よう」と思えば、途端に魂の視野は狭まり、神仏からも遠ざかってしまう。
他人と比べると、羨み、妬み、悲しみが発生し、その道を閉ざされることもあります。
人の誤解や欲、感情とは厄介なもので、そういうことでその道を閉ざすのは、とてももったいないと思います。
ですから他人の情報に触れるときは、不要な誤解や思い違いを発生させないように心がけましょう。
自分に当てはまる部分もあれば、そうでない部分もあるから。
一方ではじめのうちは、「世の中にはこんなことがあるんだ」「そういう感じ方があるんだ」などと、
色々な事例を知ることで視野を広げて、自分自身の気づきに結びつけられることもあります。
人は「自分は見えない」「感じない」などの思い込みや、
「神様に嫌われたかも」「自惚れかも」「失礼を働いたかも」などの誤解や畏れから、
ときに自分自身の霊的な感覚を狂わせ、道を閉ざすこともあります。
以前は分からなかったことが、今ならわかる。
それは、私たちが成長したから。
そう、比べるのは過去の自分と、ということにしましょう。
オラクルカード講座の生徒さんは、高次元の方々とのつながりやお姿を、光で見る方が多いです。
涙が溢れたり、感動する、胸が熱くなるなど、「心」で受けとられる方もいらっしゃいます。
私もいつも神様の姿で見るのではなくて、輝きや光の玉、霧、ゆらめきで見せて頂くこともあります。
神仏の力は、季節や自然にあらわれやすいので、参拝やリーディングでは、
「見る」意識よりも、その日の自然や季節、気候、境内の雰囲気を感じるイメージするのをおすすめしています。
「自惚れ?」「勘違い?」「自分なんて..」といった謙遜や不安も、自ら神様へのパイプを曇らせてしまいます。
そういった神様への後ろめたさや謙遜を持たないように、発言しないように普段から過ごせば、その強すぎる畏れはおさまっていきます。
神様と自分だけの一対一の世界には、どんな人も邪魔することはできません。
自分を信じることは、霊的な感覚を育む第一歩なのです。
また神様がよく仰るのが、「見よう」「聞こう」「感じよう」と焦らないこと。
「焦らないようにしよう」と思っても難しいこともあるので、まずはリラックスしたり、気分転換しましょう。
そのときに役立つのが、深呼吸やアロマです。
明日は、そういうお話や練習もしっかりとお届けします。