みなさん、こんにちは。
 

 

私はジブリが好きなのですが、ある長編映画では、生きた魂とあの世との関わりがとても分かりやすく描かれていて、今日はその中の一つに着目してお話したいと思います。

 

 

主人公の女の子は、あの世に迷い込んでしまいますが、色々な経験から成長し、帰り道を思い出し、見事この世に帰ります。

 

 

その主人公の成長をみる一つの要素に、「振り返り」があります。

 

 

物語の冒頭では、主人公は振り返ってばかり。

 

 

興味本位や悪い想像に引っ張られ、ささやきや誘惑に惑わされがちです。

 

 

ですが物語が進むうちに、だんだんと振り返らなくなっていきます。

 

 

日常動作としての振り向くことと、ここでお話する振り返りは分けて考えます。

 

 

ここでの振り返りとは、霊的な感覚で何かを感じたり、怖いもの見たさが抑えられないなど、見えないものへ意識が向いています。

 

 

幽霊は自分たちの存在に気づいてもらうために、後ろから声をかけてみたり、耳元でささやいたり、肩を叩くなど、いろいろな方法でアピールします。

 

 

幽霊などの低次元の存在は、私たちのちょっとした隙をついて、絆を結ぼう、取り憑こう、いたずらしよう、もてあそぼう、人生を奪おうと、常に待ち構えています。

 

 

私たちが惑わされたり、怖いもの見たさの気持ちがまさったり、欲に負けるなどして、

 

 

人生を台無しにしたり、人の道を踏み外すのを期待しているのです。

 

 

幽霊の中には「若い女の体を堪能したい」「新しい人生を生きたい」というものもいました。

 

 

あの世には、私たちの常識や理屈が通用しない世界や存在がたくさんあることも知っておき、

 

 

そういう世界とつながらないように、目をつけられないようにする術を身につけることも大切なのです。

 

 

人が低次元やあやかしに惑わされるとき、ふわふわとした夢の中にいるような感覚になります。

 

 

正常な判断があいまいになり、善悪がおぼろげに分からなくなるような感じです。

 

 

同時に体と魂がズレて、少し離れたところから自分を眺めているような感覚もあります。

 

 

魂と体とのズレが大きくなると、その距離の分だけ判断力もぼやけます。

 

 

すると脳の意思決定を体が感知するのも、動作として作動するのも、もっと遅くなります。

 

 

通常の状態であれば、幽霊や魑魅魍魎やあやかしなどの低波動を感じると、ぞくりとしたり、不吉さや命の危機、不気味さを感じます。

 

 

まるで猫が警戒して毛並みが逆立つように、「やばい」と命の危機を感じたり、注意警戒モードになるのです。

 

 

しかし低次元の存在にとって、私たちの持つその霊的な感覚は邪魔なので、その感覚を弱めたり、狂わせたり、鈍るようにあやかしをかけたり、そそのかします。

 

 

さらに命の危機を感じるほどの低波動を、「心地良い」「好ましい」とすら思わせて、私たちをいたぶろうとする手法も横行しています。

 

 

そして、本来だったら自分の味方であるはずの神仏やご先祖様、家族からの愛を不快に感じたり、不和や疑心暗鬼を生じさせることもあります。

 

 

私たちの感覚を狂わすとはこのように、息をしたり、考えたりと普通に暮らしているようであっても、

 

 

知らず知らずのうちに、私たちの考える力や感じる力を奪われて、魂と体のズレが大きくなり、とてつもなく無防備な状態とされてしまうのです。

 

 

そんな無防備な私たちに、幽霊は私たちが幽霊や低次元と同調するように、私たちの背中の暗闇からそっとささやきかけます。

 

 

無防備な状態の人間がそのささやきを聞くと、自分自身の記憶の中にある懐かしい人の声に聞こえたり、知っている人の気配のように覚えるなど、

 

 

あやかしの魔力にしっかりと魅了され、まんまと信用させられます。

 

 

後ろから知っている誰かに呼び止められるような感覚となれば、素直に反応したり、振り向きます。

 

 

それは、その瞬間だけは幽霊のほうに心が向き、同調し、絆を結び、幽霊の声が聞こえたり、幽霊を感知しているということでもあり、

 

 

決して褒められたり、自慢できることではないのです。

 

 

しかし、振り向いたとしても実際には何も見えないことが多いので、

 

 

「自分は見えない」と普段から思い込んでいる人からすれば、

 

 

「見えてない」「感じていない」「気のせい」と自分自身を侮り、一向に振り返りの癖を改められないこともあります。

 

 

もちろん実際には幽霊はいなくて、「単なる気のせい」「怖がりすぎ」ということもありますが、

 

 

もしも幽霊のいたずらやささやきだったなら、実際に見えたかどうか、霊感が強いかどうかはあまり関係ないです。

 

 

なぜなら、私たちの心は反応しているから。

 

 

このときの感覚をよーく見つめるようにトレーニングしていると、だんだんとその感覚が、ただの気のせいなのか、怖いもの見たさのなのかなどの違いが分かるようになります。

 

 

知った人や懐かしい人の声が聞こえたような気がする。

 

 

自分の名前が呼ばれた気がした。

 

 

そのときに、一瞬ですが、「もやもや」したり、「ありえない」と思う。

 

 

そういう感じた情報への疑いが、本当に一瞬だけなのですがくっついています。

 

 

怖いテレビを見ていると、背中の空間がぐにゃりとするのが、振り返ってもいないのに分かるし、ぞくりとする。

 

 

その感覚です。

 

 

そういうときは、「振り返らない」こと。

 

 

そして「心を反応させない」ように強く意識して、自分自身の怖いもの見たさや興味本位を、理性でしっかりコントロールすること。

 

 

暗いところを避けたり、一人にならないようにしたり、別のことを考えたり、テレビを変えたり、楽しい音楽を聞いたりして、そのつながりを断ちます。

 

 

冒頭に話した長編映画の最後も、主人公は後ろを振り向こうとして、はっと気づき、自分の意思で振り返るのを辞めました。

 

 

私の星になったおじいちゃんたちは、「生きている人の思いはとても強い」と言います。

 

 

その力を発揮するのは、自分の意思であり、その結果が行動にあらわれます。

 

 

霊感体質や憑依体質の人は、人生の課題からの試練もあって、気の持ちようとか、心が弱いとも異なる、他人には理解されづらい苦しみがあります。

 

 

ですが「体質だからしょうがない」というのも少し違っていて、色々な対処方法知っておいたり、備えておけば乗り越えられることもあります。

 

 

信仰心の近しい家族などに伝えておき、振り返りそうになったり、あやかしに惑わされたときに、忠告したり、抑止してほしいとお願いする方法もあります。

 

 

そのときは、忠告の方法も一緒にお伝えしておきます。

 

 

例えば、幽霊は私たちの会話を、私たちと同じように隣で聞いています。

 

 

振り返ろうとしている人に対して、「誰と話してるの?」「何か感じた?」というふうに、「幽霊に気づいているのを幽霊に知らせる」ような言い方はまずいです。

 

 

私たちの手の内を明かしてしまうと、それを聞いた幽霊は、それらを突破する方法や、さらに大きな攻撃を放ってくるから。

 

 

こういうときの忠告は、本人がはっと気づきやすく、かつ幽霊には伝わりずらい方法を選びます。

 

 

ですからここで、「信仰心の近しい人」に伝えることが大切になります。

 

 

言葉が言葉のまま素直に伝わり、ちょっとしたテレパシーが届きやすい人と、

 

 

あの世の仕組みを共有し、事前に秘密のサインや言葉を作っておけば、いざというときに幽霊に気づかれることなく助けてもらえます。

 

 

ありがたいことに私には、母と夫がその役割を担ってくれています。

 

 

その状況や手法は、これまでお伝えしてきた通りです。

 

 

そしてこのようにオブラートに何重にも包む言い回しをするのは、振り返りのときだけではなくて、スピリチュアルな女子会やこのブログでもそうです。

 

 

それはわが家のご先祖様方からの言い伝えと、曾祖父母らから教わった私の生きる知恵でもあり、

 

 

しかるべき方々には、その厳しさも、優しさも、しっかりと伝わっていると信じています。

 

 

 

 

飛梅はとても小さくて、ころころしていて、ちょっと桃色で、儚げで、かわいい。

 

 

枝が下に伸びてくれるものがあるので、背が低くても近くで眺めたり、香ったりできます♡

 

 
今日も最後までありがとうございました。
 
 
 

 

 

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