私たちは生まれる前に「大きな神様」をはじめ、高次の方々と一緒に、新しい人生についての計画を立てて、生まれてきています。

 

 

人生の計画が決まると、新しい人生で見守って下さる高次元の方々や、人生で関わる魂とのご挨拶も行います。

 

 

魂の計画は、細部まで細やかに決めていることもあれば、大まかにしか決めていない部分もあります。

 

 

どの両親のもとに生まれるのか、兄弟や、出会う人、人生の大きな転機、

 

 

どのような容姿や体質なのかも、人生の計画に合わせて決めています。

 

 

家族や友人などの、自分の人生に関わってくれる方々にも人生の計画がありますから、それぞれの魂の事情や計画も織り込んでいきます。

 

 

この両親のもとに生まれようと決めるとき、その家族や親戚の中にご縁の深い方がいることで決めることもあります。

 

 

ご縁があるとは、これまでの魂の輪廻転生の中で関わったことがあるということ。

 

 

多くの人生や困難を何度も一緒に乗り越えてきた、同志のような絆の深い魂同士のほうが、信頼できるし、安心したり、協力し合えたり、頼りやすいです。

 

 

自分の人生に大きく関わる人を選ぶとき、その魂のご縁の深さそのままに、絆の深い家族や友人として関わってもらうこともあれば、

 

 

信頼できる関係だからこそ、憎まれ役や困難として立ちはだかる、厳しい関係をお願いしていることもあります。

 

 

魂のご縁の深さと人生の計画とを合わせて考えるとき、この世の私たちの感覚では、

 

 

魂の絆が深いほど自分の人生にとって都合の良い、優しい関係の人がそうなのかなと思ってしましそうになりますが、実はそうではない場合もあるんです。

 

 

ご縁や絆が深く、魂同士の信頼関係があるからこそ、あえて自分にとっての困難や成長のための汚れ役を買ってもらったり、請け負ったりすることもあります。

 

 

私たちのこの世の視点だけで、物ごとを見つめる癖がついていると、

 

 

自分にとって都合の良い、優しく、助けてくれる人だけがご縁の深い人、

 

 

自分にとって厳しかったり、意地の悪い関係はご縁のない人だと決めつけてしまい、思い違いや誤解が生まれることもあります。

 

 

またご縁の深さによって、人生で関わる時間が多い少ないという決まりもありません。

 

 

人生の大きな窮地の場面で、通りすがりにさらっと助けてくれたり、庇ってくれる、

 

 

その一瞬の、ここぞの役割で登場してくれる神様のような人が、実は過去世からのご縁の深い人の場合もあります。

 

 

また、魂は色々な人生を経験しているので、過去世のどこかで大きなご恩を受けたからと、輪廻転生のどこかの人生で恩返しをしたり、恩返しを頂くこともあります。

 

 

このように魂のご縁と今世での関わりは、必ずしも、今の私たちが思うようなものばかりではなく、

 

 

一見、私たちにとって都合の悪い存在も、実は魂同士のお約束だったり、信頼関係から担ってもらっていることもあるのです。

 

 

その中でも、両親や兄弟のご縁は深いことが多く、過去世でも何らかの関わりを持っていることが多いです。

 

 

私は父方の祖父との絆が深くて、私が生まれるときに深くご縁を下さった方でもあります。

 

 

ですから、あの世に帰られた今も、ご先祖様としてあの世からサポートしてくれています。

 

 

兄弟の中には、過去世で夫だったり、息子だった人もいます。

 

 

もちろん新しいご縁を結ぶために、全く縁もゆかりもない人生を選ぶこともあります。

 

 

そして、それぞれに魂の計画や生きる目的や事情や課題を持っていて、それらが緻密に織り込まれて、人生を頂いています。

 

 

魂の計画は、臨機応変に変えられる部分もあれば、絶対に変えられないものまで、色々あります。

 

 

それが幾重にも織り込まれていますから、自分の利益や目的に大きく相反するものを持っている者同士では、摩擦が生まれたり、違(たが)えたりします。

 

 

みなさん自分の人生を生きることに必死で、譲歩できることもあれば、そうでないこともあるので、それは至極当然のこと。

 

 

例えば、親になっても、生きる目的や計画を持つ一人の人間ですから、親としてだけでなく、やるべきことはたくさんあります。

 

 

自分がやりたいこと、すべきことがあるように、他の家族にも進むべき道のりがあります。

 

 

家族となれば必ず仲良しこよし、支え合えるのかというと、必ずしもそうばかりではないのは、

 

 

人生の目的や計画が似通っていることもあれば、家族として生まれたとしても全く異なる、もしくは相反することもあるから。

 

 

すると、分かり合えなかったり、いがみ合うこともあります。

 

 

それはどちらが正しいとか、間違っているとか、良い悪いと決めつけられるものではなく、

 

 

お互いに責めたり、介入することはできない、聞き入れられないようになっています。

 

 

自分の人生は自分で選ぶ、反省すべきことや改めることも、自分自身で身を以って思い知って気づく。

 

 

他人の領域に入ったり、口出ししたり、勝手に決めたり、無理に心変わりさせられない。

 

 

そのような決まりが、あの世にはあります。

 

 

嘆かずに、責めずに、諦めずに、自分の目の前にあるやるべきこと、進みたい道を自分で選ぶことが、この世のことわりであり、

 

 

私たちはそれらをお約束して、この世に降りてきています。