私たちはあの世で、大きな神様や守護霊様となる方々など、様々な高次元の方々とともに、新しい人生の計画を立ててきています。
 
 
新しい人生で関わって下さる魂同士のご挨拶も、ここで行います。
 
 
生まれるお家が決まると、受け入れて下さった産土神様方とともに、自分の両親となる人やお家の下見に行くことがあります。
 
 
私は産土神様のお宮さんの屋根の上に、神様方と降り立ちました。
 
 
そこでうつ伏せに頬杖をつくような格好で、こっそり、自分の生まれる家を眺めます。
 
 
神様から教えてもらったお家をじーっと眺めると、家の中が透けて、自分の両親となる人や親戚が見えました。
 
 
「ここに生まれるのか」と眺めていたお宮さんの屋根は、私が知っている今の色や質感とは異なっていました。
 
 
母にそれを話すと、私が生まれてしばらくして、お宮さんの屋根の修繕工事を行なったと言います。
 
 
本当に生まれる前に来ているんだな、というのが分かりました。

 

 

 
いよいよ生まれるためにこの世へ向かうとき、私は仏様と手をつないで歩きました。
 
 
はじめはゆるやかな下り坂で、一本道なのですが、
 
 
次第に蛇行しはじめ、曲がるところも多くなって行きました。
 
 
あの世の輝きに包まれていた明るい空間も、次第に地上の濃い色が混じり合って行きます。
 
 
「これから生まれるんだ」というはやる気持ちと同時に、「気をつけなければ」とも思いました。
 
 
あの世から降り立つ魂には、たくさんの思惑や横槍が入ることがあるから。
 
 
それは「この世」からの影響もあれば、生まれることを羨む存在のものもあります。
 
 
「この世」からの影響とは、母体の影響とは少し異なります。
 
 
物質のこの世、自分の魂が宿る肉体との兼ね合い、欲や感情などの地上にあるあらゆるものが、あの世にはない刺激や魅力なのだそう。
 
 
だからこそ、この世で私たちの思いとは異なり、人の魂は何度も「生まれたい」と、多くの人がこの世に降りるのを選ばれるみたいです。
 
 
また、「あわよくば自分も」「成り代わりたい」「蹴落としたい」など、様々な事情や思惑を持つ存在も、あの世とこの世の境目には混在しています。
 
 
「あの魂は、〇〇家に生まれる」
 
 
「今からこの世に降りる」
 
 
そういうことが知られないように、見つからないように。
 
 
浮かれすぎずに、冷静に、慎重に。
 
 
魂の新たな門出ではありますが、この世への歩みをはじめた瞬間から、
 
 
低波動の影響を大きく受けるようになるので、そういうのを上手くかわしながら、お母さんのお腹の中へ歩いていきます。
 
 
私たちは生まれる前から、それぞれにご縁の深い神様や仏様がいます。
 
 
それは生まれるお家の宗教や氏神様などの、この世での管轄とは別に持つもの。
 
 
星になったおばあちゃんの一回忌の年忌供養のお話をしたことがありますが、おばあちゃんの供養には「六番目の仏様」がいらっしゃいました。
 
 
おばあちゃんは神道なので、お葬式も供養も神主さんが来てくれます。
 
 
ですがあの世では、産土神様だけではなく、魂担当の仏様も関わって下さっているみたい。
 
 
あの世は、この世の私たちが思う仕組みよりも、もっと親和性にとんでいるようです。
 
 
魂それぞれにご縁の深い神仏は異なりますから、親や兄弟とは違う神様や仏様が、担当して下さっていることもあります。
 
 
実際に私と弟との、生まれる前に付き添って下さった仏様は違いました。
 
 
私の仏様は、あの世からこの世への道のりを、ずっと手をつないでくれましたが、弟のときはそうではありませんでした。
 
 
手をつなぐのが良い悪いという話ではなく、仏様によって性質や方針、道のりが違うということ。
 
 
さらに仏様は、私たちの魂の性質に合わせた形で接して下さっているのです。
 
 
話を戻しまして、途中までは仏様と手をつないで歩いていましたが、だんだんと眠気が強くなって行きました。
 
 
そのころには魂は赤ちゃんの姿に近づいていき、最後は仏様にすっぽりと抱き抱えられて、仏様の手でお母さんのお腹の中に届けられます。