みなさん、こんにちは。
私が医療従事者として働いていたとき、8時に家を出て、8時に職場を出る、週6勤務の暮らしでした。
「この世とは、働くとは、こういうことなのかな」そう思いながら。
ですが、こんな暮らしが長くつづくはずもなく、色々な不具合が少しずつ、心身や暮らしにあらわれはじめていました。
その当時は、有休をもらえないのは当たり前でしたが、一度だけ、どうしても実家に帰る数日のお休みが必要でした。
それはお不動さんと空海さんからのお導きでした。
さらに大勢の高次の方々や和尚さん、家族の協力が、不思議なことにこの日に集中していたのです。
ですから私は必死に院長先生にお願いしましたが、希望通りのお休みが許されませんでした。
その希望していた当日のお仕事中に、おじいちゃんの訃報が入りました。
その一連の流れを見ていた年配の同僚たちが、慌てて帰らせてくれ、くしくも希望通りの日に帰省することができました。
このときは数日前から、ブログでお伝えさせて頂いた「最期のご挨拶」や「魂の時間」など、不思議なことがたくさんありました。
そういうのに遭遇する私のそばに、その同僚もいることがあり、驚かせてしまうこともありましたし、
さらに年の功もあって、察してくれたのだと思います。
当時の私は色々な混乱の中にいましたが、少しすると、これがきっかけとなる多くの変化がありました。
それはおじいちゃんの旅立ちに間に合わなかったことへの後悔や恨み、悲劇ではなく、
「結局他人は無責任だ」という無念とも、少し違います。
もう、無理だったのです。
でもそれに気づくための力も、くたくたすぎてありませんでした。
帰省する旅路で、「この世はなんて明るいんだろう。」と思いました。
「空って、こんなに青かったんだ。」
こんな暮らしは、もう無理だなと思いました。
そのために自分が大切にするものが何なのかも、納骨のあとに実家で海を眺めながら分かりました。
そういう気づきやきっかけは、どんな人にもそれぞれあります。
見える人、見えない人関係ありません。
みんな気づけるし、その力を持っているんです。
あの世を見たり、聞いたりするのも、そうです。
霊視まで習得しようとすると、しんどいことが多くなりますが、
気づきの一環であれば、この世の見え方ががらりと変わります。
俯瞰して見れば、苦しむことなく、さっと手放せたり、避けられることがたくさんあります。
そういうタイミングが分かるようになったり、選択できるようになります。
神仏のメッセージを感じるのは、
空の青さに気づけたり、ご飯が美味しい、お風呂がじんわり気持ち良い、そういう感覚に近いと思います。
ですから、まずはしっかりと食べて、寝ること。
自然に触れることでも、良い気を補うことができます。
最近、「中庸」とか「偏らず」というようなことを、神様に投げかけられることがあります。
簡単にいうと、良い塩梅とか、バランスのこと。
食べすぎたら次の食事で調節したり、
頑張りすぎたら、ゆっくりお風呂に入ったり、自分の時間を充実させる。
その逆もあって、ここぞの頑張りどきもある。
いつもゆるゆる、肯定し、甘やかすのがスピリチュアルではなく、
自然や季節を意識するように、自分の暮らしや人生に目を向けてみる。
そして、自分の中で調節して、バランスを取ること。
できなかったことを悔やみすぎないことも大切で、でも忘れるとまた同じことを繰り返すので、次につなげる努力をすること。
刺激ばかりのこの世で、私たちもたくさんの影響を受ける日々ですが、
どうやったら自分の真ん中に戻せるのかを、自分自身で見つけるヒントをくれる方法の一つに、スピリチュアルがあるのだと思います。