https://x.com/nakamuraclinic8/status/1783799749356986861?s=46&t=olCiOGeGsODjdmRVY9CVgw

 

全国のニコチン中毒患者のみなさんからお怒りを受けそうな話題ですが。

 

中村篤史先生のこの記事読んで触発されました。ニコチンには効用があると言うこと。

 

いたって単純。でも冷静な判断だと思う。試してみる価値はあろう。

 

ニコチンは習慣性や毒性もあるが、適量うまくとれば健康増進効果もてんこ盛りだという。目から鱗。

 

これもホメオパシーのレメディのようなアプローチでしょう。

 

ただし100%無添加のアメリカンスピリットのようなタバコのみ。

 

ちょっとトライしてご報告したい。時間はちょっとかかるだろうけど。

 

もう日本政府や厚労省などがやっていることを真に受けてはいけない。この数年で学んだ通りだ。

 

あのコロワク政策と同じで彼らが意図することに逆張りするようにしていけば健康な生活は間違いなし。😛 

 

 

ソース

 

 

日本もグローバリストによるドゥームズデイデイに入っていると思っているがみなさんはどうだろう?

 

 

 

これはお馴染みの政木和三先生の著作からのリブログだ。

 

超能力少年の話で、

・成仏できなかった悪霊がみえる

・悪霊が人に取り憑くことがある

・悪霊を除霊することもできる

・しかし超能力が減耗してなくなる

・時間をかければまた超能力を取り戻せる

というもの。

 

昨年9月末からぼくに取り憑いた変質ユダヤ人はもしかしたら悪霊に取り憑かれているかもしれないな、とこれを読んで思った。

 

なぜなら、こちらはそれなりに毎日、自分の心身を浄化し、肯定的だが、冷静な状態を保つ努力をしているのだが、彼が現れて以来、いろいろなことがうまくいかなくなった。また、心身を汚染されたり迷わされたりするような力をたびたび感じるのだ。(気のせい?)

 

この変質ユダヤ人の場合、昨年11月末から今年1月末までの二ヶ月間にわたり、ありとあらゆる手段で周りの人間を騙し巻き込み、ぼくの隣室や上階の部屋に泊まり、昼夜を問わず不快な騒音をそのまわりの宿泊客や長期滞在者には分からないようにしてこちらに送り続けたのだ。

 

二ヶ月間もである!

 

何かの妄想にかかりあたまがおかしくなければこんなに長期にわたって、しかも毎日、昼夜を問わず、ずっと隣の部屋にいて、こんな嫌がらせを続けることはできないだろう。

 

精神異常以上の何かがここには存在するのでは。そんな気がする。

 

その変質ユダヤ人が数日前、ぼくがいるホステルに現れ、今度はベランダから部屋にまで入ろうとしたことには驚愕したものだ。その晩はフロント男性がホステルの看板の電灯をつけなかったので真っ暗だったのだ。そのときに忍び込もうとしたのは偶然だろうか。

 

そして次の日、キッチンスペースですれ違っても目を合わせようともしない。昨日の強盗未遂はまるで無かったことのように振る舞って。

 

そして、なぜかホステルのフロント男性が彼の予約ブックにその次の週も宿泊予定のぼくの名前を書き忘れて、ぼくがチェックアウトしたように見えた日に、この変質者も突如いなくなった。偶然だろうか?

 

明らかに、どうやってか、ぼくの居場所を突き止めたのだろうと思う。

 

今はネットインテル技術が格段に向上していてイスラエルや米国の諜報機関の人間ならぼくのネットワーク上の活動を一旦把握したら、あとは自由に追跡できる。そんな時代だ。

 

この変質者はユダヤ名である。もしかしたらもしかすると想像を飛躍させることもできよう。ぼくが巻き込まれている事件はあまりに奇怪なことなのだから。

 

まあ、本ブログの守備外のことに触れることになるのでここまでにしておきたい。

 

悪霊の存在、悪霊の力、悪霊の振る舞い、悪霊による取り憑きついて触れた。

 

 

 

読むと、ものすごい体調不良に見舞われていた。

 

香港から帰ってすぐのことだった。

 

もう20数年来まともに医者にかかったことも、薬も注射もない。

 

もしかしたら、これってタイが極暑の最中、満員列車に乗ってバンコクに行ったり、バンコクの人混みに出たり、また香港の往復などで、たくさんのコロワク打った人たちにすれ違って「シェディング」を受けたせいかもしれない、と今は考えている。

 

本当の理由はわからんけどね。

 

ともかく、こんな最悪の健康状態に陥ったことは2000年にグレートジャーニーに出て以来今までない。

 

一年前のことですっかり忘れていた。

 

この体験をブログに書いてなければ、また、アメブロが一年後にこのようにリマインドしてくれなかったら、もう記憶から消えていただろうな。やばいぜぼく。爆笑

 

 

この一週間ほどもやもやしていたが次のブログテーマはどうもここらに落ち着きそうだ。

 

ただ勝負ごとや勝ち負けの話ではなくて、柔らかいものに接することで、固いものがもっていた剛性がだんだんと溶けていく、剛性を失ってそれ以前の様相に戻って行くのでは、と言った話だ。

 

忘れないようにメモだけ。

 

つづく

 

参考

 

柔よく剛を制すの解説

【読み方】
じゅうよくごうをせいす

【意味】
柔よく剛を制すとは、柔弱なものが、かえって剛強なものを負かすこと。

【注釈・由来】
しなやかなものは弱そうに見えても、かたいものの矛先をうまくそらして、結局は勝つことになるということのたとえ。
『三略』には「軍神に曰く、柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す(兵法の書にいう、柔らかいものはかえってかたいものを押さえつけ、弱いものはかえって強いものを押さえつける)」とある。
「柔術」や「柔道」の語は、この言葉の影響を受けたといわれる。

「よく」は漢字で「能く」と書く。
「良く」と同義だが、動詞の前に置いて能力の点で可能であることを表す際には「能く」を用いる。

【出典】
『三略』

 

これを読むと、ぼくがプールで目覚めたのは一年前だな。

 

そして半年してぼくも、タイにやってくる不良外人たちの苦海に引きずりこまれることになった。

 

 

昨年2月、頼まれて帰国したら急に相手の都合が悪いと言われ会えなかった。一ヶ月ほどいたがまだコロナ禍であちこちギスギスした感じがあった。不吉な予感がした。凶

 

エープリルフールには数年ぶりに香港の先生とあった。お土産に少し大きめの宿題も貰った。大吉

 

それからタイに戻ってコロナ禍前の仕事のルーティーンへ戻そうとした。

 

結構難航した。

 

そして9月末から突然「人生の土砂降り雨」が始まった。精神異常の外人旅行者が隣の部屋にやってきたのだった。大凶

 

11月にはNZでの集まりに参加。なんか座りの悪さを感じた。この頃にはアパートの室内盗難とかギックリ腰とか不穏な出来事がつぎつぎと起こり始めていた。凶

 

そして土砂降り雨は「人生最大の(生命の)危機」に変わった。それがなんと1月末まで続いた。超大凶

 

二年ほどは安全安心に過ごせたホア浜が、コロナ禍明けで荒くれ外人がたくさんくるようになって、生命の危機に通じる危険地帯に変貌。

 

あれこれ手を尽くしてはいるが今も居住地としては大荒れの崩落地帯となっている。大凶

 

それでも何とか足場を固めて半月がたつ。

 

リサーチ不足でまだ確定的なことは言えないが、10年もいたがそろそろこの地から、またこの国からお暇する日が近づいているのかもしれないと感じている。

 

頭の中にはタイ以外に二つの候補地がちらつきはじめた。

 

そのうちイメージがはっきりしてくるだろう。

 

あれほどこがれたプーケットは候補地としては消えつつある。縁を感じないのだ。呼ばれていないというのが率直な感想。

 

あと半月で、ここホア浜で居住を継続する可能性がまだあるのかどうか確かめたい。

 

問題はちゃんと本業ができるかどうか。日本でもタイでも取り立てて土地に執着はない。

 

それよりも何よりも、人類のドゥームズ・デイが迫っているのではとネットをみて考えている今日この頃だ。

 

 

つづき

 

どちらかと言えば「その2」に関連させて、

 

今日はちょっと横道にそれたい。気分転換だ。

 

新しいビーサンを買った。ずっと泊まっていたホテルに備えつけてあるものだが、販売もしていた。

 

今まで履いていたタイ製ビーサンよりはるかに履き心地が良い。

 

ビフォー(履き心地の悪いタイ製ビーサン)

 

 

アフター(今回ホテルで見つけた優れものビーサン、なんとこれもタイ製だが一般には売ってないようだ)

 

 

ぼくがここまでビーサンにこだわるのには訳がある。笑

 

ビーサンというか「鼻緒のついた草履」と言っても良い。

 

この日本の伝統的な履物「草履」には健康への深い造詣がある。

 

日々、草履を履くことによって起こる健康効果についてブログがあったのでそこから抜粋したい。

 

論より証拠なので、興味のある方はビーサン、草履ライフにチャレンジして欲しい。人生変わるかも。笑

 

抜粋開始〉

⭕️草履を履くことで土踏まずの形成が促進される

☑️草履は、足首が固定されておらず、鼻緒を足指で挟んで履く構造

☑️脱げないように鼻緒の部分をしっかりと足指でつかむので、普通の靴を履いている時よりも、足指がしっかりと使われる

☑️足指が鍛えられていないと、踏ん張る力がなく、フラついてしまい転びやすい

☑️逆に足指が鍛えられていれば、地面を踏ん張る力もつき、土踏まずの形成も促進される

⭕️草履は、浮指、扁平足などの足トラブルを防ぐ

☑️足指が鍛えられていないと、「浮指」や「扁平足」といった状態を起こしやすい

☑️浮指になると、地面を踏ん張れずフラフラしたり、バランスの良い姿勢を保てなくなる

☑️土踏まずには、衝撃を吸収する、体のバランスをとる、重心の移動効率を高める役割があるが、アーチが形成されないと「転びやすい」「疲れやすい」「足が痛みやすい」といった症状が起こる

☑️草履を履くと、足指がしっかり使われて、浮指や偏平足などの足トラブルを防ぐことができる

 

足は正しい姿勢を取るための土台となるので、草履を履いてトラブルのない健康な足を目指そう

 

⭕️草履を履くことで脳を活性化する

 

☑️草履は素足で履くので、靴下の上から靴を履いた状態よりも地面の感覚を受け取りやすい状態になる

☑️例えば、砂浜を歩くとき、砂利道を歩くとき、アスファルトの上を歩くときでは、足の感覚が全く違う

☑️様々な感覚が足から伝わり神経が刺激されるので、脳が活性化する

 

〈抜粋終了

 

ソース

 

 

 

 

 

 

 

 

政木和三さんは大学の先生だったが、超能力の持ち主で、念力で人を殺すこともできた。いかに抜粋あり。

 

昨年九月変質者ユダヤ人の Elroi Levy が現れて以来、おかしな出来事が頻発した。

 

自分が気に入らない人は何ヶ月も追いかけて徹底的に排斥するような恐ろしい偏執狂だ。

 

政木和三さんではないが、早くこの世からいなくなって欲しいものだと思う。

 

抜粋

 

テレビを見ていたA大阪大学の教授から、近畿化学工業界の雑誌に原稿を依頼され、それがもとで、学会の総会で講演することになった。

 その日、出席されていた大阪府大のB教授が

 『あなたは普通人ではありません、超能力がありますよ』

 と、このような専門家の集まりの中で言われた瞬間から、私の考え方が変化していくことになったのである。

 そういわれてみると、私にも不思議な体験がいくつかあった。

 中学生のころ、物理の試験で、出された問題が、私が休んだ日の授業のものだったので、全然わからないことがあった。

 しかたなく眼を閉じていると、頭の後の方で答えを言ってくれる者がいて、その通りに書いて提出したけれど、何を書いたかは少しも記憶に残っていないのである。

 しかし、後で、その得点が九〇点以上であることがわかった。

 また、後のことであるが、私が

 『あの人はいない方が、世の中のためにも、親戚の人のためにもよい』

 と思っていると、数ヵ月後に死んでしまうということがあり、そんなことが七回も続いて、そういうことは思ってはならないと考えた。

 けれども八人目の人についても、つい思ってしまい、その人も三ヵ月で死去してしまった

 それ以後は、このような思いをしないようにしている。

 しかし、死期を予言した人は、その通りに死んでいった。
 

 

つづき

 

一年前にも桜井章一の言を例に取り、生活における苦境、苦労からの解放について触れていた。

 

 

それをもうちょっとシンプルにしたものをここに再掲したい。

 

それは2600年前にブッダ釈迦牟尼を嚆矢とする仏教では「一切皆苦」と言っているが、そこからどうしたら脱せられるか明確な回答は与えられていないように思う。

 

おもしろいことに桜井章一はそこに明確な回答を与えている。

 

桜井はこういう。

 

 ●   どんな人でもスランプで調子をくずすことがあります。生きていれば都合の悪いことはいくらでも起こります。そんな時に、(こうした)「基本の動作」「基本の心構え」がしっかりしていれば救われるのです。

 

これ人生には苦がつきまとうということ。釈迦は「一切皆苦」というが。

 

では基本の動作、基本の心構えとはなんだろうか。彼はこういう。

 

まず、

 

●    「変化の流れを感じ、素早く柔軟に動くことが基本」です。すべてが変化していく限り、変化には間に合わなくてはいけません。間に合わないと文字通り間が抜けた人生になってしまいます。

 

これ「諸行無常」にどう対処するかということでしょ。

 

つぎに、

 

 ●   また、『「自分のことだけを考えない」ということも大事な基本』です。すなわち、相手のことも考え、さらに全体を思いやっていくという姿勢です。実はこの基本はみんな子供の時に教わっているものです。

 

これ自我が強すぎる我々の実態は「無我」であり、釈迦は「利他」や「慈悲」の大切さを説いてますよね。

 

桜井は、この麻雀で得た基本の動作や基本の心構えを生活のすべての局面においても忘れないようにしているそうだ。

 

生活のすべてで「基本」を大事にする。ここがミソだろう。「基本」を大事にして物事がスムーズに行ったり、気持ちよく感じたりする体験を積むことだ。

 

●   物事がスムーズにうまくいく時のやり方、自分が気持ちよく感じる行動、そうしたものはすべて(上述した)「基本の動作や心構え」から生まれます。

 

単純明快!

 

たった2頁の文章でここまで端的に人生訓を語れる人は少ない。そしてそれは仏教が2600年前に語ろうとした「苦からの解放」という問題に真正面から触れているとぼくは思う。