教育は訓練や才能を凌ぐことはない

教育は訓練や才能を凌ぐことはない

今回は「教育は訓練や才能を凌ぐことはない」です。

教育が才能や訓練を凌ぐことはない

これは古代ギリシャの哲学者により、すでに考えられていたことです。

また、この言葉を引用した『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(安藤寿実著) が話題になっています。

勉強は頭の良さで決まり、それは親からの遺伝で決まる。その残酷な事実を認めたくないけど、現実にはあります。

そして、努力してもできるようになるとは限らない。じゃあ、塾とか意味あるの?と疑問がわきます。それは学校も含めて、他者からの教育になります。

努力しないとできるかわからない。また、学習できる環境は必要だとはいえます。

教育と才能と訓練

教育は他者からはたらきかけ。学校や塾や親など。

訓練は子の「自発的な」努力。そして、才能は遺伝的なものと環境で形成される因子。

そして、どれほど他者がはたらきかけていい指導しても、伸びるには限界があるということです。

例えば、塾などに行き始めて指導を受けると、ある程度は伸びるが、しばらくすると伸び悩むかもとに戻る。

そして、一番大事なのは子供本人が努力しないと伸びないということ。自らが身に付けようとしないと身につかない。

そこで、他者から強制されてやらされているのか、自らがの線引きが難しいです。

塾でも、「自ら勉強できるように」自立を目指すのを言いますが、結局は塾依存で自立できないことも多いです。

また、自立して勉強=ただの放任となりがちです。

塾は「勉強に強い側」の人間

塾講師は「努力すれば誰でもできるようになる」「勉強に才能は関係ない」と言う人もいます。それはある程度正しいです。

しかし、私はこれまで様々な生徒を指導してきて、それがきれいごとだと痛いほど思い知っています。

例えば、中学生で5教科の勉強の才能があるかどうかは明らかです。まず、中学校の授業を受けるだけですでに歴然と差が出ます。

その授業である程度分かって、さらに身につく生徒もいます。しかし、理解できず覚られない生徒もいます。

それは、ごくごく限られた「5教科の勉強」に向いている才能でしかないです。

※  その才能があれば人生うまくいくわけでも、ないと生きていけないわけではないです。順位や成績が良くなくても悲観するのは無意味です。

そして、塾は成績を上げるのが仕事ですから、そのために全力を尽くします。それは決して無意味ではありません。

ただ、塾講師は「勉強に強い側」の人間です。学生時代は勉強できなかったという人もいるでしょう。そうだとしてもです。

勉強を努力すればできる、ましてやゲームみたいにクリアすればいいと考えます。

さらに、己の指導方針を正しいと思い込み、生徒を従えようとします。まるで、塾がすべてだと思い込み…。これは私もうっかり陥ることで自戒します。

そこに「訓練」と「才能」が立ちはだかります。

ならば、せめて自ら訓練ができるまでもっていってみせてください。それなら塾の価値があるでしょう。

特に算数は遺伝による

先の『日本人の9割が知らない遺伝の真実』では、算数(数学) において、遺伝的な要素が大きいとあります。

記憶とか読解が5~6割に対して、算数(数学) は9割とあります。

これは、実際に指導して強く感じます。

特に中学受験の算数。私自身中学受験して、算数がかなり得意でした。偉そうですが、神童レベルでした。

当時の私の脳内がどうだったか知る由もありません。算数の問題を解く時の、考え方や発想、答えを導く過程とか天才的です。遺伝かは分かりませんが、才能としかいえません。

それを訓練で身に付けてはいません。そして、算数が苦手な子を、塾の指導でそこまでできるのか…。もう残酷な現実しかないです。

しかし…

中学数学ではそれほど残酷ではないです。「教育」により、けっこうできるようになります。

これは、算数的な考えと違い、文字を使う数学に起因しているのかもしれません。

そして、大学入試の難関大学レベルの数学(物理、化学も含めて) になると、また才能がいると言わざるを得ません。

塾に来て最初に成績が上がるのはなぜ?

これまで、勤めていた塾、今の当塾でも、塾に来た最初は成績が上がることが多いです。

改めて調べ直しましたが、今の塾ではほぼ100%最初のテスト(定期テスト) で総合順位は上がっています。

以前は、その塾や私の力と勘違いしていました。

おそらく、環境が変わり、新しい塾が新鮮に感じて「やる気」が出たからだと思います。

もちろん、それまで塾に行っていなければ、塾に行き始めて勉強したからですけど。

いずれにしても「訓練」なんですね。そして、「自発的な」訓練です。

そこで、塾の「教育」により、「訓練」へと導き、「才能」を開花させよう。そこに、塾の価値がありやりがいもある!!

…という結論に行こうとするのですが、ちょっと待てよと。教育と訓練・才能は切り分けないといけないと立ち止まります。