【ヤングケアラー】を支援する人のまなざし【助けを求める】
「ヤングケアラー支援家」さんヤングケアラーを支援するために、県庁を辞めてまで活動をしている方がいらっしゃいます。その方のツイートです。 「子どものうちにラクさせることを覚えさせると、ダメな大人になってしまう」はあるのかもしれないけど。。 「子どものころに無理することに慣れすぎると、誰にも助けを求められない大人になる」方がはるかに問題な気がします🤔#ヤングケアラー #きょうだい児 #介護 #毒親— わたじろー|ヤングケアラー支援家 (@jiro_carer) November 29, 2022「子どものころに無理することに慣れすぎると、誰にも助けを求められない大人になる」ウルっとしてしまいました。「助けて」「手伝って」と言えるかどうか若いときって、誰かに助けを求める事などできなかった。幼い時はもっとできなかった。そう思いませんか?「助けを求めることができる」って、成長だった多くの人は子どもの頃に助けを求めなくても助けてもらえる経験を積んで助けてもらうにはどうしたらいいかということを体得していったのだと思います。子どもにはまずは助けてもらう体験が必要ですね。私もつぶやいてみました 「誰かに助けを求めることができる」ようになる事が、 「自立して生きていけるようになる」事だったように思えます。 https://t.co/q8zkq4ZLyf— パール@地方シニア (@white7pearl) November 30, 2022ヤングケアラーではなかった私でも「助けを求めることができる」までには、年月がかかりました。⇩ ヤングケアラー支援家さんの⇩ ツイッターはこちらです。わたじろー|ヤングケアラー支援家⇩ 昭和の私の体験談もご紹介します。⇩ 貧困と学力格差について⇩ 「お前んちは貧乏だから」⇩ と、ある生徒に言い放った先生。⇩ でも、素晴らしい教育でした。【実話】先生がしたこと言ったこと|貧困と学力【昭和の小学校】子どもの貧困は、決して放置してはいけない問題。学力格差対策も重要です。けれど、格差そのものを「悪」ととらえるのはどうなのでしょうか。小学校の先生が「おまえんちは貧乏だから・・・」といってしたことや、「知能指数が高い生徒は…」と実名をゲームのようにあてさせたことをご紹介します。昭和の実話、高度成長期の頃の私の体験談です。shiawasenomoto.comどうぞ末永く宜しくお願いしますにほんブログ村思い出日記ランキング