生涯で、いつまでも心に残る友人のひとりは誰にもいると思う。随分前の事なのにあいつ今頃
どうしているかなあ。思い出すとその時のままの表情と姿で。歳を取っていないし、若い。
特に子供の頃の友人はいつまでもいいやつだ。
僕には、山ちゃんと言うあうんの呼吸とも言えた友人がいた。当時岡山に住んでいた頃、同級生
でいつも一緒だった。フルネームを出さねければ差し支えないだろう。彼や僕は比較的岡山の街
中に住んでいた。小学、中学の数年間の付き合いだったが思い出が鮮やかだ。
山ちゃんの父親は芸術家風のハンサムな人でインテリアのデザインの仕事をしていた。母親は清
楚な美形の人だった。お姉さんがひとりいたが、これがまた岡山でも目立つ美人だった。
けれど山ちゃん自身は色白で縦に細長く、顔は穏やかで第一印象は平凡な印象の目立つ方ではな
かった。そんな彼は白い大きな家に住んでいた。
ーSHAKATAKー ♫ SOMEONE I COULD LOVE
僕と山ちゃんとの仲で一番一緒にしていた事は自転車に乗っていた事。とにかく岡山市内を走り
回った。道もよく知っていたし、こずかいで色々食べた。お菓子とかでなく、コロッケとか焼き
鳥、おはぎなど。僕が鉄道やミリタリープラモデルが好きなのも彼も同じで趣味が合うと無条件
で相手を無二の関係に感じるものがあったろう。
中学に上がるとより関係は深くなり、話す内容も遊び方もがらりと変わった。その頃にはまるで
スタンドバイミーの様に僕らにふたり増えて4人グループの仲間になった。初めは体育系の部活
に行っていたが、徐々に放課後は野外活動ばかりになっていった。
岡山には不良も多くて街にいれば、何度かあの悪からの洗礼を受ける物だが僕らはほとんど心
配なくのんびりとやっていた。思春期は毎日発見や苛立ち、そして異性に目覚める頃。
僕らもあの甘くてちょっと苦い思いを岡山という街を舞台に味わった。
一度僕らは大阪へ旅行へ行った。大阪城や海遊館、繁華街を歩き回り最後は山ちゃんの行きたい
場所へ行く事に。そこは大阪、東急ハンズ江坂店で、なんとショーウインドーに山ちゃんの父の
作品が飾られていた。「山ちゃんすごいなー」とみんなで騒いだ。
山ちゃんとは、その後岡山の進学塾へ一緒に行こうと決めていたが僕は親が転勤になり、それは
出来なかった。その後の話では彼は進学校へ進んでいったと人から聞いた。それ以来会う事が
ないが、何故か去年の暮れから昨日も山ちゃんの夢ばかりを見ている。その夢は、あの山ちゃん
といつも何か乗り物に乗って楽しんでいる。列車や船、飛行機、自転車など。
せめて夢だけでも楽しくて微笑ましい自分を誰かが見させてくれている様な不思議なものだ。
友達とは、ゆったりと熟成に時間を使った頃、本当の良さを身を持って深く感じるものだなあと
今、痛感している。たとえこれから会う事がなくても本当の友達といえよう。
ありがとうございました。

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