黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【光る君へ】#15 まひろ、道綱の母に示唆され作家の道に光を見出す

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第15回「おごれる者たち」が4/14に放送された。何も踏み出せなかった歯がゆい時期を経て、闇から立ち上がるヒントを石山寺で得ることができた主人公まひろ。ここから「書くこと」へと思いが動き、いよいよ紫式部の「源氏物語」ワールドが花開くか・・・!

 まずは、あらすじを公式サイトから引用する。

(15)おごれる者たち

初回放送日:2024年4月14日

道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公費を投じ始める。道長(柄本佑)は兄のやり方に納得がいかない。一方のまひろ(吉高由里子)は、さわ(野村麻純)と近江の石山寺へと出かける。そこで思いもよらない人物との出会いが…((15)おごれる者たち - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

麗しい一条天皇がご登場

 今回の始め、永祚二年(990年)の御代でまだ子どもだった一条天皇は、中宮に立てられた定子と仲良く偏つぎ遊びをしていた。まひろが倫子様サロンでやっていた遊びだ。定子と不穏な空気も漂っていた母の皇太后詮子は、道隆によって厄介払いされ、内裏外の職御曹司に追いやられた。ここは・・・もしかして後に定子が住むところ?

 正暦四年(993年)にワープしてようやく帝の本役が、衣擦れの音をさせながら檜扇を片手にご登場。何とも麗しい帝だ。満月と雪明りに照らされ、ただ定子と向き合い、笛を吹いているだけなのに、なんだこのしっとりとした愛の空間・・・!2人の間には誰も入り込めない感じだ。

 高畑充希演じる定子の方も、雰囲気が少女から大人になった。ただ黙って帝の笛に耳を傾ける表情だけで、その変化を示せるとは。

 今回はBGMでもフルートの美しい調べが目立つ。一条天皇は笛の名手だと聞くから、演じる俳優さんもかなり練習したんだろう。塩野瑛久という劇団EXILEの俳優さんだが(公任の町田啓太と同じだね)、これまでご縁が無くて見覚えが無い。

 大河ドラマでは今作の円融帝を始めとして歌舞伎の方々がよく帝を演じ、威厳やら気品やら着こなしやらの点で安心感があるが、この人も軽やかながら気品では負けてないと思う。今後も楽しみだ。

 定子は、頭の回転の速い母・高階貴子の進言で、ききょう(清少納言)を漢詩や和歌のお相手をする女房として迎えた。ききょうが定子との対面時に「きれーい」と口ポカーンになったり突っ伏してアワアワしている感じ、まさに枕草子の179段を思わせる。こういうの、楽しい。

 ききょうが「女房になることが決まった」と喜びを伝えに来た際、まひろが書写していた「声を尋ねて闇に問う。弾く者は誰そと。琵琶 声 停みて」は、白居易の琵琶行の一節だとネットで調べるとすぐに出てきた。便利な世の中と、「光る君へ」に合わせてさっそく書いている方に感謝。

光る君へ まひろが書写していた漢詩 琵琶引(行) 白居易 - 新古今和歌集の部屋 (goo.ne.jp)

 まひろは琵琶行に続け、自分の琵琶を見やって思う。

まひろの心の声:私は一歩も前に進んでいない。

 大学寮の試験に受かり家族を喜ばせた惟規、志の通りに宮仕えが決まったききょう。それぞれに「おめでとう!」と喜べても、詩を読みおセンチになって我が身を振り返る気持ちも分かる。でも大丈夫だよ、まひろ!目覚めのその時は近い。

だからの財前直見

 今回の「あらすじ」に書かれた、まひろが石山寺で出会う「思いもよらない人物」は「蜻蛉日記」の作者で、道長の父・兼家の妾・藤原寧子(演・財前直見)だった。彼女とまひろの対話を記しておこう。

まひろ:(寧子に)「蜻蛉日記」をお書きになった方でしたか。(小声でさわに)道綱様のお母君。(寧子に)幼い頃から「蜻蛉日記」を幾度も幾度もお読みして、その度に胸を高鳴らせておりました。

寧子:まあ・・・ずいぶんおませなお姫様だったのですね。

まひろ:はい。でも、幼い頃は分からないことも多かったです。兼家様が何日かぶりに訪れたのに、門をお開けにならず「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」という切ないお歌を送られた意味なぞ・・・今は、痛いほど分かりますけれど。

寧子:心と体は裏腹でございますから。

回想のまひろ:心の中では一番でも、いつかは北の方が・・・。

回想の道長:それでもまひろが一番だ。

回想のまひろ:耐えられない、そんなの!

まひろ:(脳裏で道長との口づけを思い出している)

寧子:それでも、殿との日々が私の一生の全てでございました。私は日記を書くことで己の悲しみを救いました。あの方との日々を日記に書き記し、公にすることで、妾の痛みを癒したのでございます。不思議なことに、あの方はあの日記が世に広がることを望みました。あの方の歌を世に出してあげた。それは、私の密かな自負にございます。そこまでして差し上げても、妾であることに変わりはないのだけれど。あなた方はお一人なの?

まひろ、さわ:はい。

寧子:命を燃やして人を思うことは素晴らしいことですけれど、妾はつろうございますから、できることなら嫡妻になられませ。高望みせず、嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ。

 この寧子の言葉がまひろの琴線に触れた。妾でもいいと思い決めていたのに拒絶してしまった、道長への辛く忘れ難い思い。それは書くことで癒せばよいと、まひろはヒントをもらった。まひろは寝付けず、ひとり月を見ながら思いにふける。

まひろの心の声:書くことで、己の悲しみを救った・・・。

 このドラマは「源氏物語」作者の物語なのだから、主人公まひろが書くことに啓示を得る瞬間は非常に大切だと思う。「道綱、道綱」と名前を連呼するサブリミナル寧子というコミカルな役回りに止まらず、寧子には兼家とのすてきな終わり方を前回みせてもらったけれど、ここでまた、まひろの運命を決定づける大きな役目も控えていた。

 だから、財前直見というキャスティングだったのだと納得した。倫子様サロンでの学びといい、「蜻蛉日記」がクローズアップされてきたのもそういうことだった。

道綱、夜這い失敗で良かった

 さて・・・この後に現れた寧子の息子の道綱が、まさかまひろに手を出そうとするなんて、何という皮肉。母親は嫡妻になれと彼女たちに伝えていたのに、道綱は下級貴族の女なんて簡単に妾にでもするつもりだったのか。それとも一夜の遊び心?

 あー、女の着ぐるみを着ているだけで、本当に面倒だ。ちょっと褒めると変に勘違いして、着ぐるみの方にばかり目が行く単純な男はマジで困る。下級貴族の女を軽く見た道綱も、サブタイトルの「おごれる者たち」の1人という事か。

 とりあえず、道綱のまひろへの夜這いが成就しなくて本当に良かったこと。もし成功していたら、まひろにはレイプ魔として恨まれ、道長に殺されることだろうよ。「まったくあんたの兄にはロクなのがいないね」と道長までまひろに恨まれる。

 この時に、さわがあそこまで積極的だったのは意外だったが、ひとめぼれだったの?上級貴族なら誰でも大歓迎?一応彼女なりに人生に切羽詰まっていて、攫ってくれる殿御を捕まえたかったっていうのは分かるんだけどねえ。

 さわは、惟規とはどうなっているんだろう。確か、庚申待の夜、道長と破局して戻ったまひろを迎えた時に、惟規とさわは2人きりだった。まひろが出かけてから、ずーっと話をしていたんだよね?さわは積極的みたいだし・・・。

 今回、惟規は擬文章生試験に受かり、文章生まであと一歩まで漕ぎつけ、まひろ家族は喜びに沸いた。彼はいつものごとく「姉上が男だったらとっくに文章生となって官職を得ていただろうけど」と、まひろに言ったが、まひろは「ようやくこの家にも光が差してきたわ」とその場では笑って弟を祝った。

 しかし、祝いの琵琶を奏でながら心の中ではこう思っていた。

まひろ心の声:不出来だった弟が、この家の望みの綱となった。男であったらなんて考えても、虚しいだけ。

 もしも惟規が女だったら、優秀な「兄」まひろが勉学に邁進するのを尻目に、さわのように殿御に攫ってもらいたいと夢見てそれで幸せだと考えていた気がする。きょうだいで性別が逆転したところにこの家の不幸があるのかもしれないけれども、本来、性差なんか文章生として仕事をこなすには要らなさそうなのにねえ。

 話を戻すと、夜這い相手を間違える話は、「源氏物語」の空蝉がそうだった。でも、光源氏は間違えたままに空蝉の義理の娘(軒端の荻)を言葉巧みに口説いた。あのシチュエーションで「間違った」と悟られては、今さら相手に恥をかかせるだけ、失礼になるからだろう。

 道綱は正直と言えばそうなんだけど、さわを怒らせた。そんな不手際をしない理想の男として、後に光源氏が描かれる訳だ。まひろの頭の中で理想的な男が形作られるのはもうすぐか?

懐が深い道長、本気出してきたかな

 実際の方はともかく、このドラマの道兼はDV男臭がプンプンしており、まったく同情できない作りになっている。が、父親に便利に駒として使われてきた己のマヌケを悟って壊れた道兼は、それなりに哀れではある。

 道兼は公任の家に居座り(公任、そこまで陰湿にめんどくさく絡まれたんじゃなくて良かった)、困った公任から相談された道長が、公任の邸・四条宮へと出向いた。

 すると道兼は烏帽子も取れ、衣服も乱れて寝転んで酒を飲んでいる。髭面だし。昔、いたぶっていた弟に見られたら相当に恥ずかしい姿だ。

道兼:おう。

道長:お迎えに来ました。

道兼:帰らぬ。

道長:この家の者は困っております。

道兼:公任め・・・裏切りおって。

道長:兄上のこのようなお姿、見たくありませぬ。

道兼:何を言うか。お前も腹の中では笑っておろう。

道長:笑う気にもなれませぬ。

道兼:フフフ・・・俺は父上に騙されてずっと己を殺して生きてきた。己の志、己の思い。全て封印してきた。そして、父にも妻にも子にも捨てられた。これ以上俺にどうしろなどと説教するな。俺のことなぞ忘れろ!

道長:兄上はもう父上の操り人形ではありません。己の意志で好きになさってよいのです。

道兼:(半分起き上がって)ならば聞くが、摂政の首はいかほどか。摂政の首が取れたら魂だってくれてやる。(ふらふら立ち上がる)俺はもう死んでんだ。とっくの昔に死んでんだ。死んだ俺が摂政を殺したとて誰も責められぬ。摂政の首が取れたら未練なく死ねる。浄土に行けずとも、この世とおさらばできる。

道長:兄上。私は兄上に、この世で幸せになっていただきとうございます。

道兼:心にも無いことを。

道長:まだこれからではありませぬか!兄上は変われます。変わって生き抜いてください。この道長がお支えいたします。(深々と礼をする)

道兼:(へたりこんで、頭を抱え)俺に生きる場所なぞあるとも思えぬ・・・(泣く)

道長:ありまする!しっっかりなさいませ!父上はもうおられないのですから。(声をあげて泣く道兼)

 甘えん坊のかまってちゃんの次兄道兼。騙されたと言いつつも兼家パパのロスに陥っているみたいだね。「おまえを置いてゆかぬ」と言い、後にはちゃんと内大臣にもしてくれるほど自分にも配慮する長兄(摂政)の首を欲しがるなんて、どうかしてる。「志」とか「己の思い」とか口にしているのも笑わせる。どうせ自分本位の浅い話なんじゃないのか。

 厭世的になった挙句に拡大自殺をほのめかすなんて、典型的な甘えた奴だよ、今作の道兼は(史実はそうじゃないらしいけど)。面倒くさがらないで向き合う道長は懐が深い。それが自分を含めた三方良しの一番の近道だと分かっていそう。

 このシーンの道長といい、実資と除目の後に最小限の言葉だけで会話をする時といい、「物事のあらましが見えている」と父・兼家に評された彼らしい、底知れぬ表情を益々見せてきていると思う。

 明子のお腹を撫でている時も、舅・源雅信(「不承知と言い続ければ良かった」とは・・・やっぱり面白い)の危篤の床で手を握っている時でさえ、静かに宙から物を俯瞰しているというか・・・。

 何をどう見ているのだろうか。まひろと直秀への誓いにまっすぐか。いよいよ兄との戦いを意識してきたか。トップに立とうとうすれば、兄一族を蹴落とさなければ無理だ。長兄道隆のように父がお膳立てし黙っていても権力が転がり込む立場じゃないからね。

 そんな風に思ったのは、甥の伊周との弓競べだ。関白となった道隆が調子に乗り、中宮ご在所の登華殿の模様替えの支出を公費からさせようと中宮大夫の道長にゴリ押ししてきたから、頭に来ていたのはわかる。道長は、皆が関白一家への接待ゴルフに励む場なのに、本気の片鱗を見せてしまった。

 伊周も、憎らし気なことを言った。「そのような気分ではございませぬ」と道隆の「相手をせよ」との誘いを断った道長に、「怖気づかれずともよろしいではございませぬか、叔父上」なんて煽っちゃうのだ。元々母に溺愛されて自信満々だからなー、若いからなー。まだティーンブレインで、万能感いっぱいだ。

 しかし、5本すべて命中させるくらいの精度を誇っていた伊周が「願い事を言うてから矢を射る」方式になって崩れた。人間、欲を出すとダメだ。さらに言霊にはインパクトがある時代だと思うし、プレッシャーが違う。

 「我が家より帝が出る」をど真ん中で命中させたのは道長の方。場はざわついた。さらに「我、関白となる」で大きく外し、塀に矢が刺さってしまった伊周は明らかに動揺したが、同じ願い事を口にしかけて構えた道長を「やめよ!」と大声で止めたのは兄道隆だった。

 この場にいた人たち、今後は鼻っ柱の強い関白家の長男・伊周と、関白の弟・道長を見る目が断然変わるだろう。空気が変わった。あれは神意に見えるもんね。「8歳も年下の甥相手に、バカなことをした」と道長は反省したが、いや、あんたそれ実質的な相手は兄の関白だから。皆そう思ったよ。

 次回予告を見ると、道長が関白と接近して睨みあっている。戦いが顕在化するか。「汚れ仕事は俺の役目だ」と道兼が・・・死が近いから、いい人になるのも役者さんの今後のためか。それと、公式サイトの方の予告には道長従者の百舌彦がいた!久しぶりー。瀕死のまひろ(?!)のために、また乙丸と2人で活躍するんだね。そして倫子様、とうとう道長の心の中の存在に勘づいちゃうか・・・怖いけど楽しみ過ぎる。

(ほぼ敬称略)