夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

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1000記事書いてからブログの価値について考えた

これが1000記事目の本ブログ

2022年の6月18日から始めたこのブログも、本記事で1000記事目になるそうである。

これは私が数えたのではない。

ちゃんとはてなブログさんが数えてくれている。

そして2022年の6月18日から現在まで何日あるかというと1014日。

これも自分で計算していない。

ある計算サイトで○○から○○までに数値をいれただけである。

ということは書かなかった日は14日だけ。

ということはこの期間、98.61%の確率でブログを書いたことになる。

これは自分で割り算をしたので、ひょっとしたら間違えているかもしれない。

それでも大半の日は書いていることに間違いはないのだろう。

しかし不思議だねぇ。

誰も私に「毎日書きなさい!」と命令したわけでもなく、自分で「よし!毎日ブログを書くことにしよう!」と目標設定したわけでもない。

なのにほとんど毎晩、20時30半から21時頃からカタコトカタコト、パソコンに向かっている。

これってやっぱり面白いからやっているのだろうか?

それにただでさえ、ブログの時代は終わり、そのうちなくなるんじゃないだろうか?とネット上でうわさが広まっているのに?

ブログの価値は何で決まる?

ここで今さらながら、ブログの価値は何で決まるのだろう?と考えてみた。

これはやはりアクセス数だろう。

人様に読んでもらうことを前提としているのがブログだから。

その点から考えると私のブログは毎日書いても書いても価値あるブログにはほど遠い。

まさに労多くして益少なし、である。

もう、イヤになるなぁと思って365記事書いた時点でのアクセス数の画像を発見した。

だいたい一日平均100~200かと思う。

そして一週間前から1000記事到達のきょうまでのアクセス状況は以下のとおり。

だいたい250~400/日が平均的なところか。

ということはちょっとは前進しているのか。

いくらアクセス数や収益は考えていない、といっても後退していたらやっぱり落ち込むもんね。

あともう一つの価値として、読者にコミュニケーションの場を提供している、というのもあると思う。

これは完全に失格。

以前はコメント欄を設けていたが閉じてしまってからもうだいぶになる。

でも読者さんからのはてなスターにはありがたいと思っているよ。

自分からそのかたがたに直接コメントすることはないが、はてなスターをつけていただいたかたのブログは必ず読んでいる。

本当にわざわざクリックしていただいてありがとうございます。

ブログは私の音楽プレイリスト

そしたら私は何が面白くて毎日ブログ記事を書いているのか?

それはね、ブログが自分の音楽プレイリストになっているから。

私がブログに貼り付けている音楽は、当たり前だが自分の好きな曲しかない。

これをいちいちYouTubeで聴こうと思えば、必ずや広告にじゃまされる。

そして広告ブロッカーを使っていれば、そのうちに画面が動かなくなる。

しかしブログの小さな画面を我慢して、再生ボタンを押せば広告なしで音楽が楽しめるのだ。

それも自分がレッスン中のジャズからクラシック、そして懐メロまで。

これはありがたいよ!

特に私は無料ブログなので、損をすることなく得をすることばっかりなのだ。

写真いりの画面を見るのが好き

あともう一つ。

私はむかしから絵本や挿絵いりの本が大好きなのだ。

そして参考書も色刷りでないと使えない!

むかし旺文社から薔薇シリーズという参考書が発行されていて、これは日本で初めてのカラー印刷参考書だそうだ。

それを使うようになってから成績が伸びたこと!

だからその延長で、ブログでいろいろな写真を載せるのは楽しい。

そして明るい色でいっぱいになった画面をみると嬉しくなる(文章はほとんど読まないが)。

しかし写真が多いと重くなるため、写真の多いブログを嫌うかたもいるらしい。

しょうがない。

こういうかたとは縁がないと思ってあきらめるしかない。

結論。

このブログに価値はないかもしれないが、書いている本人は無料で音楽や写真を楽しんでいるので、はてなブログさんにはありがたいと思っている(ついでにIDも変更できたら、もっと感謝するんだけれど)。

だからまだ続けるつもり。

しかし毎日更新は別に必要ないかな、とも思っている。

その時間をひょっとしたら別のことに充てられるかも、というわけでただいま考え中。

それにしてもわざわざここにお立ち寄りいただいた読者さまとは何かの縁・・・

明日もよい日でありますように!

モルダウ川から話題は芦屋川へ移りにけり

芦屋川から六甲山を望む

モルダウ川とはくらべものにならない芦屋川

きょうの記事はきのうの続きみたいなものなので、いちおう下にきのうの記事を貼っておく。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

 

クラシックピアノのレッスンで、スメタナ交響詩我が祖国」第二曲「モルダウ」の話題になり、先生と私は、

「いい曲ですねぇ、本当にいい曲ですねぇ」

と盛り上がった。

モルダウ川って雄大なんでしょうね。芦屋川と違って!」

と先生は言う。

芦屋川とは六甲山系から私たちの街、そして神戸港へ流れ込むちっさい川である。

たしか二級河川だったと思う。

「芦屋川ってほんとにちっさくて短い川ですよね。

川の長さからしたら全国最短なんじゃないかしら?」

という先生に、私はまるで語り部のごとく、

「それでも昭和13年阪神大水害のときは、大暴れで大変だったそうですよ。

当時はピアノなんて山の手のお屋敷にしかなかったんですけど、そのピアノがどんぶらこ、どんぶらこって川下まで流れてきたんですって!」

こう言いながらも、私はそれを見たわけではない。

昭和2年生まれの母の話の受け売りである。

そしてひょっとして母も実際にみたかどうかは定かではない。

母も当時子どもだったし、それにピアノが流れてきたのはお隣の住吉川だったかもしれないし。

しかし先生はそのハナシにびっくりして、

「そういえばこの近くに石碑がありますよね」

と言った。

下の写真はウィキペディアに掲載されている「阪神大水害 芦屋川決壊之地石碑」である。

細雪」で知る阪神大水害

ここからは私だけの独り言になる。

多くの死傷者を出した阪神大水害谷崎潤一郎の「細雪」によって、多くの人に知られることになった。

ところで名作「細雪」は三度映画化されているが、有名な1983年の市川崑監督作品では、阪神大水害のシーンはみごとにスルーされている。

しかし初回の1950年度版では当時の特撮技術を使ってそのシーンが再現されている。

でも今みたらやっぱり、あーあ、なにこれ?という感じ。

小説のほうが水害の怖さが伝わってくるかもしれない。

ご興味のあるかたは青空文庫にもでているのでチラ読みもいいかもしれない(長いので買っても読まないかも?というかたにおすすめ!)

青空文庫 四

お春どん、あんた何処へ行かはるねん、この水の中を気でも違うたんか、これから先は男でも行かれへん、川の近くは家が潰つぶれたり人が死んだりしてえらいこっちゃがなと云う。だんだん聞いてみると、蘆屋川や高座川の上流の方で山崩やまくずれがあったらしく、阪急線路の北側の橋のところに押し流されて来た家や、土砂や、岩石や、樹木が、後から後からと山のように積み重なってしまったので、流れが其処そこで堰せき止められて、川の両岸に氾濫はんらんしたために、堤防の下の道路は濁流が渦うずを巻いていて、場所に依よっては一丈ぐらいの深さに達し、二階から救いを求めている家も沢山あると云う。

(注)芦屋川は蘆屋川と表記されている

1950年の映画「細雪」はかなり原作に忠実

私は細雪の大ファンなので、1950年版のDVDも持っている。

当時は妙子役の高峰秀子が大スターで売れまくっていたせいか、やたら妙子にスポットがあたっているが、それでもかなり原作に忠実に描かれている。

だから1983年版のような、貞之助(石坂浩二)が雪子(吉永小百合)に恋心を抱いているなんて解釈ははいっていない。

そしてきょう偶然にこの映画がYouTubeでアップされているのを見つけた。

嬉しいことだが、画像が非常に悪い。

ああ、もったいない・・・ 私がもっているDVDはここまで悪くないんだけどどうしてなんだろう?

1950年の映画「細雪」をYouTubeで無料鑑賞!

www.youtube.com

またまた手前みそではあるが、谷崎が住んだ家、「倚松庵」を訪れた際の記事も書いているので、よろしければどうぞ!

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

 

 

いつか弾きたい曲、スメタナのモルダウ

プラハ市内を流れるヴルタヴァ川(モルダウ川)

モルダウ」はどのアレンジがよいか

きのうクラシックピアノのレッスンで先生のレッスン場に行くと、生徒用のグランドピアノ(スタンウェイ)の上に楽譜を綴じたバインダーが目いっぱい拡げられていた。

はは~ 先生は生徒のレッスンがないときは、やっぱりスタンウェイを弾いてるのだな、と思った。

それはよい。

しかし右側の先生用のヤマハの上にも同じく楽譜バインダーが拡げられている。

そうだ、先生は来月コンサートが3本もあって大変なんだなぁ~

そのなかに、私の好きなスメタナの「モルダウ」があったので、先生に訊いてみた。

「先生、私、モルダウが大好きなんですけれど、楽譜はどれを使ってらっしゃるんですか?」

モルダウスメタナ交響詩わが祖国」の第2曲だが、ありとあらゆるタイプの編曲が世の中に存在しているはずである。

先生は、

「ネットにあがってるのはほとんど福間洸太朗のだけれど、あれ、むずかしくって弾けないの。

だからそれよりもっと簡単なのにしました。

それで物足りないところは音を足したりして」

私は「むずかしくて弾けない」とさらりと言ってのける先生に感動した。

もし私が逆の立場だったら、生徒に「むずかしくて弾けない」って言えるだろうか?

教える立場の沽券にかかわると思って、弾きにくいとかなんとかで、ごまかすんじゃないだろうか?

スラブ的な曲を聴くとなぜか涙がでる

スメタナ(1824-1884)が生きた時代、チェコとかチェコスロバキアという国は存在しなかった。

統治していたのはハプスブルク家を戴くオーストリア=ハンガリー帝国で、交響詩「わが祖国」にはチェコの独立と愛国心が色濃く投影されているらしい。

昔、そういうことを聞いたことがあるせいか、私は以前からこの曲をきくと、とてもスラブっぽいものを感じて感動していた。

どうしてスラブっぽいと感じるのか、それには特有の音階が使われているのかどうかもわからない。

しかしイメージとして北の国しかありえない。

この曲をきいてさんさんと太陽がふりそそぐ南国は想像できない。

この曲とか、チャイコフスキー弦楽四重奏とか、あるいはロシアの国歌とか。

話は飛ぶが、ロシア国歌は1964年の東京オリンピックで、当時のソビエトメダルラッシュで国歌演奏されるのをテレビで見て好きになったのだ。

こういうのを聞くと、北の国で寒さに耐えながら一生懸命生きている民衆を想像して、なぜか涙ぐんでしまうのである。

あほかいな。

しかし好きなものは好きだからしょうがない

寒さはことのほか苦手で、極寒の地に行きたいとも思わないが、音楽だけは感動するのだ。

福間洸太朗の「モルダウ

そこで家へ帰ってから福間洸太朗の「モルダウ」を聴いて見た。

客席からの「ブラヴォー!!」がすごい!

ひゃー、ほんまにむずかしそうやね。

だって左手が大活躍しなければならない。

でも肝心の哀愁を帯びたメロディーは右手なのだから、私が弾けば(弾けたとして)また左が大きすぎてメロディーが聞こえてこないって言われるんだろうな、きっと。

www.youtube.com

オーケストラのモルダウ

そしてピアノのソロ演奏は本当に素晴らしいのだけれど、なぜかやっぱりオーケストラ版が聴きたくなってしまう。

ついでにホンモノのモルダウ川やチェコの古都、プラハの様子も。

というわけできょうは↓の動画をみてプラハへ行った気になった。

www.youtube.com

これでチェコ料理でもあれば?と思ったのだけれど。

ないよね、チェコ料理店って神戸には・・・

と思ってダメ元で検索してみたら、なんとスロバキア料理店があったのだ!

しかしチェコ料理とスロバキア料理とどう違う?