伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

劇団四季・ジーザスクライスト・スーパースター

2024年04月25日 | 演劇・ミュージカル
4月20日から6月2日まで、
JR京都駅ビル内の「京都劇場」で上演されている劇団四季の
「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見て来た。

エルサレム・バージョンでの上演だ。
以前から見たかったミュージカルだ。


劇団四季のジーザス・クライストはエルサレム・バージョンと、
ジャポネスク・バージョンがあるが、見たかったのはエルサレム・バージョン。
京都劇場で上演されるのを知り、
うれしくてうれしくて何としても見たいと思い、
チケットもわりと簡単に取れ、念願かなって見ることが出来た。

京都劇場は劇団四季のミュージカルをよく上演している。
ほかに演歌歌手のコンサートなども行っているが、
「美女と野獣」も「オペラ座の怪人」も、ここで見た。

京都駅構内(駅ビル内)にあって、家から歩いて行けるので、
こんなに近くでジーザス・クライストが見られるのがうれしい。

京都劇場の総席数は941席と大きくはないが、
客席は満員で女性が多いが品の良い?男性も多い。
京都の上流階級の人という感じ?
年代はさまざまだった。


*感想がとても長くなってしまった・・・
思い入れの強い作品なので…
(盛大なネタバレもあり)



劇団四季創立70周年記念公演
『ジーザス・クライスト=スーパースター』[エルサレム・バージョン]
https://www.shiki.jp/applause/jesus/


劇団四季:ジーザス・クライスト=スーパースター[エルサレム・バージョン]
:プロモーションVTR
shikichannel
https://youtu.be/dT8WYJy3GKA?si=_IXYGen5xAQFNOkd





若かりし頃、
映画で「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見て感動し、
忘れられない映画作品の一つになった。
もともとはブロードウェイとロンドンで上演されたミュージカルで
(その大元のオリジナルはレコード制作だった)、
映画化はノーマン・ジュイソンが監督して、
イエスが活動したイスラエルそのものでロケした。
砂漠の荒涼とした感じと相反するかのような熱気がすごかった。

始めに映画で見ていたが、
劇団四季が上演しているのは古くから知っていた。
一度は劇場で見たいと思っていた。
ミュージカルはあまり見ないが、「ジーザス」が見たかったのだ。
今回、何十年も経て💦とうとうその夢が叶う時が来たのだ。

イスラエルは今、難しい時だが…
(第二次大戦時は被害者だったのが、
終戦後にアメリカの肝いりで建国したことで加害者になってしまっている)
昨今の国際情勢とは切り離して考えた方がよいだろう。
ユダヤの物語ではあるが、
同時に若者たちの愛と苦悩の物語でもある。

それ以上に俳優たちの熱演、歌唱力の素晴らしさ、
迫力に圧倒されっぱなしの2時間足らずだった。
(休憩なし)
生歌の迫力を肌でじんじんと感じた。




彼らの名前は誰一人知らなくて、
劇団四季に何の予備知識も持たないまま見に行ったから、
俳優たちは(自分にとっては)無名の人たちだ。
そのような無名の俳優なのにものすごい歌唱力、
まずそれに驚かされた。
マイクはいらないのではないかと思ったほどだ。

イスカリオテのユダ、マグダラのマリア、イエス(ジーザス)、
プロなのだから上手いのは当たり前だが、みんな上手い。
それぞれが圧倒的な歌唱力。
感情表現がダイレクトに伝わって来る。
イエス役の人は声質が良く、ハスキーな声に哀愁があり、
ハイトーンも楽々出していて感激した。

パリサイ人の大祭司・カヤパのバリトンもすごかった。
ものすごい低い声が出ていて、掠れることも聞き取りにくいこともない。
劇場じゅうに響くような低音なのだった。


日本語で歌うからオリジナルの英語の半分くらいしか訳されていない。
それが少し残念だった。
ただ意味は通じていたけれど。
日本語を原曲のメロディーに合わせて当てはめていくのは
とても苦労しただろうし。
ただ、日本語で歌うから原曲のメロディーが少し変わってしまっていた。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの美しいメロディーが
少しだけ分かりにくくなっていたかな。





舞台上には荒野のセットが組まれていて、
奥に行くにしたがって傾斜がある。
奥に行くには坂を登る感じだ。
セットはそれだけで終始する。
暗転した時にセットの上に簡単な装置が置かれることがあり、
場面転換がある時もあるが、
基本的にはひとつのセットのみでストーリーが展開してゆく。

始めに映画の方を見ているからどんなふうに?とか
どうやって?と思っていたが、
場面転換がほとんどないから話がサクサク進む。

サクサク早く進むから素晴らしい歌唱でも
余韻に浸っている暇があまりないが…


---------

「ジーザス・クライスト・スーパースター」は
イエスが十字架にかけられるまでのイエスの最後の7日間を描く。

約2000年前、ユダヤはローマ帝国の支配下にあった。
ユダヤの民はローマへの税、ユダヤへの税、神への貢物、と
二重・三重の重税、圧政、形骸化した厳しい神の戒律に苦しんでいた。
そこへ新しい神の教えを説くイエスが現れ、
民衆は彼を受け入れ熱狂的に支持してゆく。

弟子のひとりユダは、その民衆の熱狂に不安を感じていた。
ユダヤの支配層に目をつけられるのではないか、
民衆はイエスの教えを信じるというより、
ただローマから解放してくれるのではないか、
病気を治してくれるのではないかという現世利益を求めているだけではないか。
ユダはイエスとの間に溝が深まってゆくのを感じていた・・・



(画像は劇団四季のHPより)


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劇が始まると、当たり前だが説明は一切ないから、
これは(新約)聖書を熟知している人でないと分からないと思った。

自分は中・高とプロテスタント系キリスト校に通っていたので、
毎日の朝礼(礼拝)の時に毎日賛美歌を歌い、
聖書の一節を開き、その一説に基づいた先生のお説教を聞く。
だからイエスと弟子たちの行状は親しいもので、良く知っていたし、
だからこそ「ジーザス」を見たいと思ったのだ。


が突然大祭司のカヤパとアンナスが登場して来ると、
それが誰だか理解できないのでは?と思ったり、
前半にローマ総督ピラトが夢を見たという独唱をするが、
それが誰か、お話を知らなければ誰だか分からないだろう、とも。

またホサナ、と群衆が合唱する場面は
新約におけるエルサレム入場の場面だが、
場面転換をしないので、やっとエルサレムにたどり着いた、とか、
ここがエルサレムであるという説明がないため、
なぜ群衆がイエスを称えているのか分からないのでは?
とも思った。


まあ劇場にジーザス…を見に来るくらいの人ならば、
物語のあらすじは分かっているのかもしれない。


始めの場面で沢山のイエスの弟子たちが登場するが、
その弟子たちがある場面ではユダヤの民になったり、
エルサレムで物売りの集団になったり、群衆になったりするのは
とても効果的だった。

あれほどイエスを慕っていた弟子たちや民衆が
最後はイエスを罵り、死刑にせよ、と囃し立てるのである。
その残酷さがよく表現されていた。


・・・ゲッセマネの場面(イエスの独唱)に来ると、
来た!、と心の中で叫んだ。

ただそれまでイエス役の人がハイトーンで美声を聞かせていたため、
独唱そのものが少し意外性がなかったかも。
映画では前半、イエスはそれほど聞かせどころがなかったはずで、
だからこそ、ゲッセマネでの血を吐くような神への問いかけが
心を打ったのだったが。。

ただ、曲の間奏部分、5拍子の変拍子に変わる部分で、
映画では古今の西洋絵画が描くイエスの磔刑場面が
フラッシュバックのように挟まれていくが、
そこを舞台ではイエスがロングトーンで長々とひと息で歌うのが圧巻だった。

イエス役は役柄上、やせ細っている設定なのに、
あの肺活量はすごいと思った。



イエスの鞭打ちの場面は目を覆いたくなるような残酷さで、
そのリアルさに震え上がった。

舞台上を引きずりまわされながら、鞭で打たれ続ける。
もちろん実際に鞭が当たってはいないが、
舞台を端から端まで引きずりまわされ無抵抗のまま、
されるがままにぼろ雑巾のように鞭打たれ続けるのである…

そして磔(はりつけ)の場面がやって来る。
この場面もあまりのリアルさに目を背けたくなるほどだった。
いや、釘付けになり、目が離せなくなった。
今、この場所でまさに磔刑そのものを見ている気になってしまった。


十字架にイエスを横たわらせ、イエスの手のひらに釘を打つ。
その時、釘を打つ音が劇場じゅうに響きわたる。
その残酷さ。
釘が打たれるたび、イエスの手のひらが痙攣するのである。

私の席は1階のかなり奥だったが、
イエスの手のひらが震えるのがしっかり見えた。
まるで実際に釘打たれているかのようだった…。

舞台の上に、イエスを張り付けた十字架が建ち上げられた時、
まるであの時代の磔刑の現場に居合わせている気持ちになった…


しかも映画では十字架を建てた時、
体が重みで十字架から垂れ下がるのを防ぐため、
両手首に縄を巻いていたが、この舞台では縄も見当たらない。
それでいて体が十字架に張り付けられたままでいる。
どうやってずり下がることなく
十字架に張付けられたままでいられるのか分からない。
実際に釘で打たれて、本当に磔刑にされているとしか思えないのだ。
あまりのことに驚きだった。

磔刑(はりつけの刑)とは十字架に釘で打ち付けられ、
十字架を丘に建てられて終わりではない。
磔刑に処せられた人物はまだ生きている。
十字架上にそのまま何日もさらされたまま、やがて飢えて
飢え死にするのを待つのである。
そういう残酷な刑であった。
目の当たりに磔刑を目にして言葉もなかった・・・。



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(画像は劇団四季のHPより)


ジーザスの舞台はライティングが神で、
イエスが弟子たちといる時、イエスにだけライトが当たり、
イエスだけが光る。
まるでレンブラントの絵画のようだった。

磔刑の場面も舞台の真ん中に十字架がそびえたち、
回りを悲しむ人が取り囲む。
その場面は西洋絵画でよく見たイエスの受難の場面そのものだった。


芝居が終わり、カーテンコール(カーテンはないが)
はあるのかな?と思っていた、
こんなシリアスなストーリーにはカーテンコールは合わないなとも。
でもやっぱりカーテンコールはあった。
しかも何度も何度も。
舞台袖に引っ込んでは再び舞台に出て来て観客に挨拶する。
観客に手を振ったりもして。
もちろん場内は総スタオベで手を振り返したりした。
俳優の熱演に応えたい、感謝を表したい、
という観客の気持ちの表れのお手振りだった。



売店にはグッズまであった・・・


・・・長々と語ってしまった…
興奮が覚めやらないので…。

京都劇場のジーザスは6月頭まで上演しているので、
また見たくなった。。
何しろ徒歩で行ける距離なので(トイレが我慢できる距離)、
交通費が要らない。
気軽に行けるので出来ればもう一度、見てみたい・・




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2 コメント

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ありがとうございます。 (posyaku75)
2024-04-25 20:37:29
「ジーザス・クライスト=スーパースター」ご紹介 ありがとうございます。そんなに
素晴らしい舞台やっているんですね。私もカトリックの学校で 皆で映画観に行き 通学時 友人と歌いあいながら盛り上がっていたこと思い出します。今回このブログで まるで自分が 公演見たように感じました。またいろいろと 感動したこと教えてください。
Unknown (伊佐子)
2024-04-26 05:46:22
posyaku75様

こちらこそありがとうございます。
posyaku75様も映画版ジーザスをご覧になったのでしょうか。
とても古い映画ですけれど、美しい曲ばかりで歌いたくなりますね。

>まるで自分が公演見たように感じました。
そう言っていただけですごくうれしいです(´;ω;`)
頑張って書いた甲斐がありました…
6月からは全国ツアーが始まるそうです。もし行けるならどうでしょう。
カトリックならちょうどぴったりかと…

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