ルツ記1:6


"ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。"



ナオミが故郷イスラエルに戻る決意をした理由は「主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった」ことを聞いたからであった。



"ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。"

ローマ人への手紙 10章17節



信仰から離れている者を連れ戻す一つの方法は、私が祝福されることである。



そして主から受けた恵みを言い表わすこと、証することによって、それを直接でなくても、今日の箇所のように伝え聞くということであっても、それが信仰から離れている者にとっての信仰の始まりとなり得る。



そしてナオミはどこでそれを伝え聞いたかというと、「モアブの地で」であった。



クリスチャンは教会に来てもらって聞いてもらおうとする傾向があるが、



ナオミが「モアブの地で」主の祝福を聞くことができたように、教会は彼らが教会に来なくても聞くことができるようなものを用意しておく必要がある。



一つの手段としてYouTubeがあるが、他にも教会に来なくても提供できるものがあれば行なっていく。