20ヶ月目の日記1 パレスチナ人男性のハンガーストライキなど

複雑な背景を持つひとたち

私は病院の倫理委員会のスタッフで、この間とても時事的なケースを経験した。個人情報なので胸の内にしまっておこうと思ったのだが、実は結構有名なケースのようで、ツイッターで(病院ではなく患者さんの支援団体に)公表されていた。ネットに出ている情報だけで少しこの男性に触れたい。

この男性は、イスラエルとパレスチナの戦争(イスラエル人によるパレスチナ人の殺戮というべきだろうか)が始まった頃にハンガーストライキを始めた。倫理委員会が握っていた情報にはなかったのだが、記事によると、彼の生き別れた妹がパレスチナにおり今回の戦争で命を落としてしまったのが、ハンガーストライキの契機となっていたようだ。「ハンガーストライキをしている人が『死にたい』『死んでも良い』というとき、その意見はautonomousなのか」「過去・現在の大きなトラウマが意思決定に影響しているとき、その意思決定はautonomousなのか」など、倫理委員会では主にautonomy関連の議論が多かったように思うが、ネットに出ている情報以上に色々と複雑な背景があり倫理委員会での意見はあまりまとまらなかった。あまりまとめないで意見だけ出すのが当院の倫理委員会のスタイルなので、それはそれとして、最終決定は担当医・担当科及び精神科医に任されることとなった。

その後、自主的にハンガーストライキをしている人の経過観察のために冬の逼迫している病院のベッドを使うわけにはいかないという事情もあり、彼は退院した。退院後にどうなったかを私は知っているのだが、どうもネットには追伸記事がないので、ここには書かない。

私は西ヨーロッパを「世界の良心」だと思っていた。きれいごとでもいいから、人権や倫理を建設的に議論し高々と掲げてくれる西ヨーロッパに他のどの地域よりも信頼があったし、それが西ヨーロッパ地域に引っ越したい理由だった。イスラエルとパレスチナの戦争はその信頼を根幹から揺るがしたように感じる。戦争が始まった当初、欧州連合の委員長が「私は徹底的にイスラエルを支持する」みたいな(個人的な)声明を出した時も自分が目にしていることが信じられなかったし、パレスチナ軍による残忍な行為がこれだけ明らかになっている今ですらイスラエル支持を表明している人たちを見ると、世の中には考え方が根本的に違っている人たちがいるのだということをまざまざと思い知らされる。

悲しいことだが日常になってしまったガザからの陰惨なニュースがまだ日常でなかった頃に、この男性の話が倫理委員会に届いて、「ああイギリスに住むと世界がこんなに近いのだな」と思った。

イースターホリデーで何をする?という話を同僚たちとしていた時も、「世界がとても近い」と感じた。ミャンマー出身の同僚は「帰りたくても帰れない」と言っていた。どうも、クーデターで軍事政権になって以来、一旦一時帰国してしまうと出国するのに特別な許可証が必要とかで、それが発行されるのに数ヶ月かかることもあるらしい。いつかは帰国したいけれど今はまだ無理だ、と寂しそうだった。シリア出身の同僚は、「ヨルダンまでは飛行機で、そこからはタクシーに乗る」「シリアはWifiが弱いから電話とかは無理。もし本当に連絡が途絶えたら死んだと思って」と笑うに笑えないジョークを飛ばしていた。IMGの中にはこのように母国に複雑な事情を抱える人が少なからずいる。

Author: しら雲

An expert of the apricot grove

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