私が通っていた昭和46年〜50年頃は、少ない学年で20人弱、多い学年で30人前後の児童がいたと思います。それが今では、全学年合わせて18人。6年生の4人が卒業すると、4月に入学する1年生はいない予定らしく、しばらく前から合併・閉校の協議が行われて準備も進み、ついに150年の歴史に終止符が打たれることになりました。
私がいた頃は音楽に縁のない子どもがほとんどでしたが、最近は「金管バンド」がずいぶん頑張っていたようで、TBSの「情熱大陸」で取り上げられたり、去年も賞を取ったりしているようです。これからはどうなるのかな。
最初に上げた写真は西内小学校のホームページから拝借したものですが、ホームページにある「西内小学校校歌」は自分が通っていた頃とは変わっているんですね。1981年制定ということですが、以前の校歌はネット上を探したけど見つけられませんでした。
うろ覚えで抜けてるところもあり、1番と2番が逆かもという気もしますが、
山あいの日陰には
いで湯が沸いて いで湯が沸いて
冬もなお あたたかく
(歌詞不明)
丸子の西内 我らが学び舎
明るく楽しく我らは(不明)
我らは(不明)
川沿いの日向には
小鳥が群れて 小鳥が群れて
夏もなお すずかぜが
(不明)
丸子の西内 我らが学び舎
明るく楽しく我らは(不明)
我らは(不明)
こんな校歌だったと記憶しています。
楽譜にするともっともらしいけど、音の高さとかは(当時からは声変わりしていることもあり)自信がないです。正しい音程とか歌詞とか、もしわかる人がいたら教えて下さい。
4月からは「丸子中央小学校」と一緒になるということで、準備としての交流行事や、一緒に活動する授業なども行われてきたみたいです。自分が通った学校がなくなってしまうのは淋しいけど、時代の流れだししょうがないですね。
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