イランの関与するイラクのイスラム組織がヨルダンのアメリカ軍基地を攻撃して(この事件によってアメリカがヨルダンにも基地を持っていることを初めて知りました)米軍に三人の死者を出したことの報復のためにアメリカがイラクやシリアにあるイランの革命防衛隊関係の85の施設を広範囲に爆撃したようです。(『ワシントン・ポスト』)

 

また、イエメンのフーシ派が無差別に航海中のタンカーを攻撃したことに対してアメリカおよび同盟国の一部がフーシ派の拠点を爆撃したのも最近のことでした。このフーシ派にもイランは関与しています。

 

このようにガザで起こった戦争は確実に拡大しており、これがアメリカとイランの直接的な戦いになってしまい、それが第3次世界大戦に繋がる恐れを私は抱いています。

 

前回のブログではこのように戦争が拡大する理由の一部にはイランの憲法に原因があるのではないかと書いたのですが、それに関する英文の記事を見つけたので簡単に紹介したいと思います。

 

unheard.comにあった記事で著者はデビッド・パトリカラコスという人です。

 

https://unherd.com/2024/01/the-chaos-behind-irans-grand-strategy/

 

イランの憲法はなぜか戦前の日本とそっくりでそれはドイツのビスマルクが作ったものだということを私は前回に指摘し、その欠点としてこの憲法は時間が経過するとバラバラになって統一した国策が作れなくなることだと言いましたが、イランにも確実にその症状は出ているようです。

 

「問題の一部はイランが効果的にエリートの関係性を管理する事に成功していないからだ。イランの外務省と革命防衛隊のコッズ部隊はパキスタンやアフガニスタン、広域中東の外交をどちらが行うか20年間争ってきた。例えば2022年の8月コッズ部隊はイラクにおいて重要人物であるモクタダ・アル・サダーとの会談に外務省を同席させなかった。」

 

イギリスの歴史家ドミニク・リーベンが言ったように日本における元老やドイツにおけるビスマルクのような実力のある調整者を欠くとこの憲法は各部局が協力せずに勝手に自己の省益を追求し出すのです。

 

戦前の日本で総理を務めたことのある近衛文麿は『最後の御前会議』に次のように書いています。

 

「今度の日米交渉にあたっても、政府が一生懸命交渉をやっている一方、軍は交渉破裂の場合の準備をどしどしやっているのである。しかもその準備なるものが、どうなっておるのかは、吾々に少しもわからぬのだから、それと外交と歩調を合わせるわけにはいかぬ。」

 

ドイツの例も挙げておきます。つい最近第一次大戦に関する本を2冊読みました。一冊めがシーン・マクミーキンの『1914年7月』で2冊目がジョン・キーガンの『第一次世界大戦』です。

 

この両方の本でも触れられている印象的な場面があります。帝政ロシアが部分的な動員を開始した後、戦争を拡大したくなかったドイツの宰相ベートマン・ホルヴェーグは同盟国のオーストリアに対してロシアに対する動員を控えるように促しますが、ドイツの参謀長であるモルトケは意外と急速なロシアの動員に対してオーストリアの参謀長にすぐさまのロシアに対する動員を勧めます。その時のオーストリアの外相であるベルヒトルドの言葉です。

 

「なんと奇妙な。参謀長のモルトケか、それとも宰相であるベートマン、いったい誰が政府を運営しているのか?」(“How odd! Who runs the government: Moltke or Bethmann?”)

 

パトリカラコスのこの記事からもわかるように、イランの革命防衛隊と外務省が全く協力しあうことなく、オーストリア・ハンガリー帝国のベルヒトルド外相が問いかけた『誰が政府を運営しているの?』という問題は戦前の日本や現代のイランに確実に受け継がれているようです。

 

本来ならこのような各部局がバラバラになっている時は元首の役割が重要になってくるのですが、ビスマルク憲法の第2の欠陥としてこの憲法は時間と共に元首の権威や権力が低下してしまうことなのです。

 

続く

 

 

 

 

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