本「ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか —— カノッサの屈辱」 | 明日もシアター日和

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最近読んだ2冊の本の簡単な感想です。

 

「ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか ―― カノッサの屈辱」

著 藤崎衛

発行 NHK出版/世界史のリテラシー(2023年)

 

 

 1077年に起こった、後に「カノッサの屈辱」と言われる出来事は、教皇に破門されたドイツ王(後の神聖ローマ皇帝)が教皇の赦しを得るため、厳冬の中、アルプスを超えてイタリアのカノッサ(教皇が一時滞在していた)まで旅し、着いてから3日間後に破門を解かれたというもの。一般に、ドイツ国王権がローマ教皇権の前に敗北した事件と理解されていると思うけど、実際はそう単純な話ではないわけで……。日本で「カノッサの屈辱」と言うのはイタリア語からの訳で、ドイツでは「Gang nach Canossa」(gang=徒歩で)、英語でも「Road to Canossa」が一般的のようです。

 

 本書はこの出来事の顛末を導入にして、教皇を中心とするカトリック体制の発端~確立~変化までを見ていき、出来事の歴史的意味や、中世ヨーロッパ(カトリック世界)における教皇のあり方を検証する本です。章立ては以下の通り。

 

●事件の全容/なぜハインリヒ四世は教皇グレゴリウス七世に屈したのか

●歴史的・宗教的背景/「ローマ」と「教皇」はいかにしてむすびついたのか

●同時代へのインパクト/普遍的教皇権が成立させた「十字軍」発起

●後世に与えた影響/中世キリスト教はなぜ宗教改革に向かったのか

 

 とても分かりやすい文章で、要点が簡潔に書かれており、すごく面白かったです🎊 「カノッサの屈辱」という出来事の背景である、高位聖職者の叙任権をめぐる闘争や、私利私欲により腐敗した教会の改革運動などにおいて、ドイツ王(神聖ローマ皇帝)とローマ教皇の双方に複雑な思惑や背景があって起きたものであることが理解できる。

 「教皇」はいつから存在するのか(単なるローマ教会の司教だった聖職者がいつなぜ「教皇」になり、どういう経緯でカトリック教会の最高指導者になっていったのか)とか、「カトリック」ってそもそも何なのかという解説もすごく勉強になりました。

 カトリックの理念のもとに行われた十字軍については「キリスト教徒への攻撃は不正な戦争であり、キリスト教的な平和を防衛するものは正しい戦争である」という詭弁的正当化に疑念を抱かずにはいられなかった😔 また、中世後期の教皇庁および教皇の腐敗ぶりは凄まじく、さながら現在のどこぞの国の政権政党のよう😑 宗教改革は起こるべくして起こったのだと納得です。

 

 

「キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇」

著 金沢百枝/発行 新潮社(2024年)

 

↑ カバーの絵は「モーセを拾うファラオの娘」(「パンプローナの聖書」より)1197年頃

 

 主に中世ヨーロッパの美術(写本の挿絵、彫刻、ステンドグラス、モザイク、刺繍、織物など)において、旧約聖書に書かれている物語がどのように視覚的に表現されたかを見ていく本です。扱っている旧約聖書内の物語や人物はだいたい以下の通り。

 

●天地創造●アダムとエバ、エデンの園と楽園追放●カインとアベル●ノアの方舟●バベルの塔●アブラハム●ソドムとゴモラ●イサク、ヤコブ、ヨセフ●モーセと十戒●サムソンとデリラ●ダビデ、ソロモン、ヨブ、ダニエル、ヨナ、ユディット……などなど。

 

 キリスト教美術の黎明期、パターン化した表現方法が生まれる以前、物語の解釈もまだ一定化していない頃の、伸び伸びと自由な、時にコミカルともいえる図版が満載(280ページ近い本文の中に300点以上の図版が掲載)で、それらをただ見ていくだけでも楽しいです😊 どれも、想像力豊かで独創性があり、シンプルだけど言いたいことをストレートに、あるいは誇張して表現している。当時の職人たちの頭の中を覗きたくなります。物語の同じ場面を視覚化しているのに作品によって全く違う表現方法をしているので、その共通点や相違点を見比べて物語の解釈の違いを探るのも面白い。

 本文では旧約聖書内の物語の概略を述べ、それが個々の作品にどう反映されているかを解説しています。作品内のごくごく小さい部分にも言及していて、鑑賞する面白さを教えてくれるし、そこから聖書の解釈の仕方も学んでいけます。

 

 しか~し❗️ 内容はとても面白いんだけど、問題は紙面のレイアウトデザインです。まず、図版とその解説文とが違うページにあることが多い。例えば、1ページまたは見開きにわたって図版が掲載されているのに、それについての解説文がその前ページあるいは次ページあったりして、説明文の細かい指摘(「画像左上の○○は……」など)を読むたびに、画像のその箇所を見るためにページをめくって確認→またページをめくり戻して解説文の続きを読む→また細かい指摘がありめくって画像の別の箇所を見る……の繰り返し。これが非常に煩わしい😖 途中から画像をスマホで撮影し、スマホ画面を見ながら本文を読むようにしたけど、これもまた面倒きわまりなく、終盤にはもう画像を見るのをやめてしまった。解説文と図版は同じページに置くようにレイアウトを工夫すべきっ😤

 また、ノンブル(ページの数字)が紙面の小口側の下(左右外側の下端)や中央下ではなく、ノド側の下(綴じてある側の下端)にあるのも良くない。ページを確認したい場合、指でパラパラとめくってもダメで、本を奥まできっちり広げないとノンブルが見えないのです。こういう、デザイン性優先の、読む人が面倒なだけの創り方はやめてほしい😠

 

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