映画「異人たち」(2023年) | 明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

脚本/監督 アンドリュー・ヘイ

アンドリュー・スコット/ポール・メスカル/ジェイミー・ベル/クレア・フォイ

 

 良い映画だったー🎊 主人公の孤独や悲しみが胸に突き刺さり、その痛みが全身に沁みわたる感じ。感情を揺さぶられました😭 ハッピーエンドではないけれど、暖かさを感じさせるラストシーンが脳裏に焼き付く。(私は未読ですが)山田太一の小説「異人たちとの夏」をもとに大胆に翻案した作品。映画の原題は「All of Us Strangers」で、strangerの意味からすれば、「異人たち=(他と?自分と?)異なる人たち」というより「私たち皆、見知らぬ者同士」ですね。

 

 ネタバレあらすじ→現代のロンドン。クィアのアダム(アンドリュー・スコット)は12歳になる前に両親を交通事故で亡くし、40代半ばの現在は、高層住宅で脚本家として一人暮らし。ある晩、同じ建物に住む、やはりクィアの青年ハリー(ポール・メスカル)が「一緒にお酒を飲まないか」と尋ねてくるが、アダムは断る。アダムは両親の物語を書こうと、1987年の自分が育った家を訪ね、そこで両親の亡霊/幻影に会う。両親は彼を迎え入れ3人は再会を喜ぶ。マンションに戻ったアダムはハリーと遭遇し、2人は交際を始める。(その後、アダムの、両親との邂逅&ハリーとの交際の進展が交互に展開する)。やがて両親はアダムに「あなたが幸せを掴むには自分たちのことはもう忘れハリーとの人生を進んでいくべきだ」と諭す。両親に別れを告げたアダムはマンションに帰りハリーの部屋を訪ねるが、ハリーはそこで死んでいた😖 アダムはハリーの亡骸をベッドに寝かせ、寄り添って抱きしめる。終わり。

 

 ラストは、抱き合う2人の姿がグングンとズームアウトしていく→ひとつの光になる→漆黒の夜空をバックに星になる→周りにいくつもの星が現れ、2人の星もその中の1つになる、そこに(冒頭でハリーがアダムを誘いに来た時アダムが聴いていた曲)Frankie Goes To Hollywood「Pawer of Love」が流れ……という、それはそれは美しいシーンでした✨

 アダムが会う両親は、アダムが幻想の中で登場させた幻影/亡霊だけどアダムがハリーと育んでいった愛も現実ではなくアダムの願望としての幻想、ハリーも幻影なのです。冒頭でアダムの部屋を訪ねたものの断られたハリーは自室に戻り、ウイスキーと麻薬の過剰摂取で死んだと推測できる。幻影としての両親と別れ、ようやく改めて現実のハリーと会う勇気が出たときには、彼はすでに亡くなっていた、というね……😢

 

 クィアであるアダムは学校でいじめに遭い、両親には打ち明けられず、その両親とも少年期に死別し、80~90年代はAIDSの恐怖と闘い、同性愛嫌悪の激しい嵐が吹き荒れた時代を生きてきた。その苦しみを誰かに打ち明けるどころか、社会的理解を得られないまま、いつしか心を閉ざして生きるようになった。社会における疎外感と痛み、愛を語れない悲しみと孤独、居場所が見つからない不安、人を愛することへの恐怖(冒頭でハリーの誘いを断ったのは「人と関わるのが怖かったからだ」と)。それらを抱え、人生の袋小路に入り込んでいた彼は、そこから抜け出て前へ進みたい、それには過去の自分と向き合って心のわだかまり清算し、自己受容しなければと思ったのかな。

 それで幻想の中で両親を登場させ、かつて話せなかったこと、我慢してきたこと、解決したかったこと、聞きたかったことなどを伝え、ひとつずつ整理していく。両親との対話は言わば自分の願望。だから、クィアであることをカミングアウトして両親に受け入れてもらい、独りで泣いていたときにして欲しかったように父に抱きしめてもらい、何度も「お前は大丈夫だよ」と言ってもらうのです。

 そうやって少しずつ過去の痛みから快復していく過程で、同じく幻想の中でハリーとの交際を始め、彼に自分を曝け出すことで本来の自分を取り戻す、ハリーと愛し合っていけそうだと思うようになる。両親との邂逅、ハリーとの交際を通して「自分は愛されている」と自信を持つことができ、その愛をもって今度はハリーを守ろうと思ったのでしょう。最後、アダムはハリーの亡霊に「君には僕がついている。君を襲ってくる吸血鬼を追い払ってやる」と語りかけるんですよね……もう手遅れだけど😢

 

 アダムを演じたアンドリュー・スコットが申し分なく素晴らしかったです。真っ直ぐに見つめるときの黒い瞳、微笑んでいるのに半泣きに見える口元、うつむいた時の寂しげな翳り、遠くを見る空寂を湛えた表情、彼が見せる表情からして役にはまっている。もちろんその繊細な演技も秀逸で、彼が流す涙に温か味を感じ、両親と語り合いハリーと愛を育むことで自分を解放していく姿には説得力があった。

 ハリー役のポール・メスカルもいい味を出していました。アダムより若く(メスカル自身は28歳)、クィアに対する社会のあり方が変わりつつある時代の青年の役だけど、自分を拒否する家族から受けた傷はアダムより深く、その痛みを抱えながらアダムを愛そうとする姿が痛々しい。「自分は、家族の枠組みから弾き出されていた、端っこに、社会の枠のフチに追いやられていた」というセリフに胸が締め付けられました😢

 映画「リトル・ダンサー」で主役ビリーを演じたジェイミー・ベルがアダムの父親役で、すごくいい演技をしていました。息子を理解してあげられなかったことを謝罪し、息子に穏やかだけど深い愛情を示す演技、静かに教え諭すセリフが心にジワ……と響きました。

 

 音楽のチョイスが最高。上述した Frankie Goes to Hollywood 「The Power of Love」とか、Pet Shop Boys 「Always on My Mind」とかね。要所要所で使われる曲は単なるBGMではない、そのいくつかは、そこに流れる歌詞が人物の心情を代弁しています。歌詞を知ったうえでそのシーンを見れば落涙必至💦 映像も美しかったです。上述したラストシーンのほか、例えばオープニングの、高層住宅の上階からアダムが眺める夜明け前のロンドン。ビル群が描く漆黒のスカイライン、その上に広がるブルーと淡いオレンジ色の空、その空漠とした風景はアダムの疎外感を視覚化しているようだった。

 クィアとして生きることの言い知れぬ苦しみを思うと同時に、人は底なしの孤独に落ちた時、誰かを愛することでそこから抜け出せるのだろうか、そんなことを考えた映画でした。

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

海外映画ランキング海外映画ランキング

明日もシアター日和 - にほんブログ村