アンチとは何なのか?アンチの必要悪について! | 何でもアル牢屋

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

どうやら世間は、水原事件を機に大谷翔平をどう語るのかに戸惑いを感じている様である。大谷自身の違法賭博への関与が晴れ、推定無罪と言う立場から<完全なる無罪>と言う結末を迎えても、アメリカでは根強く大谷関与・説が渦巻いているらしい。そんな人々の思惑は、こんな感じだ。
大谷は何かを隠している、知っている、本当の事を言ってないのではないか、世間の知らない水面下で関係者が動き、全てを有耶無耶にして終わらせようとしているのではないか、アメリカでも最高峰の弁護士を高額で雇い、取引で全てを丸め込んだのではないか、日本時間の早朝に大袈裟とも言える連邦絡みの会見が行われ、しきりに「大谷は被害者だ」と主張する辺りに作為的な何かを感じるとか、この水原事件の闇と言うか闇黒と言うか、何だかスッキリしないと言うのが世間の正直な反応なのかもしれない。
全部を要約すると、大谷翔平と言うドル箱を失いたくない為の大掛かりな工作が水面下で行われたのではないか?と言うのが、根強く残る説のようだ。この背景には、10年後に約束された1000億円の契約金の存在がポイントになっている。
死んでも使い切れないテレビゲームの様な金、やりたい放題の金、悪を呼び寄せる魅惑の金。額が規格外の為、仕事をして稼いだ金と言うよりは、降って湧いた様な泡銭みたいな捉え方をしてしまうのが世間と言うモノなのだろう。抽象的に表現するならば、もう笑うしかないと言う領域。
水原事件で失った24億円の後、大谷はハワイのリゾート地に20数億円の大豪邸を建設。懲りない男だとアメリカではヒンシュクを買い、日本では凄いと褒めつつも鼻で笑った。

ネットでは多くの人が<自分だけの大谷>を自由に書く権利を持っている。表現の自由と言えば聞こえはいいが、実際の所は自由を盾にした無責任な表現で、当然、私も無責任である。
この無責任ながらも強気な姿勢は何処から来るのか?と言えば、自分が書いた所で何かが変わる訳じゃないからと言う思惑があるからだろう。これがもし、ビジネス絡みの商業記事だとしたらどうか?内容はガラリと変わる。どう変わるかと言うと、ベッタベタの褒め記事しか書かなくなる。
大谷で儲けようとする人達は、大谷に関するネガティブなネタを嫌がる。テレビメディアを観てれば、その報道の仕方は宗教と変わらない。大谷翔平を崇め奉る会。観てて見苦しい程にはしゃぐ司会者とコメンテーター。それは水原事件の捜査中にも関わらず、「大谷さんが、そんな事をする筈がありません」と、何処かのアホが公共の電波を使って言い放った時点で、日本のジャーナリズムは崩壊した。
この日本と言う国が常々残念に思うのは、芸能とスポーツでしか希望と夢を乗せられない国で、本当の意味で夢と希望を与えている人達が普遍性に満ちた領域に居るにも関わらず、そこから探そうとしない。国民栄誉賞に選ばれる人選に白けを感じるのも、その辺から来てるのかも知れない。

プロ野球の業界ではアンチ巨人なんて言葉が有名だが、世の中にはアンチ・ヒーローと言う概念も存在する。どう言ったアンチなのかと言うと、チヤホヤされた英雄気取りが気に喰わないと言う人達の事。
個人的な意見だけど、英雄気取りが憎いと言う感情は人の精神としては正常だと思う。むしろ、人の精神の構造とは、そういうモノだろうと思うし、なんでもかんでも強いモノに味方して平伏してしまう感情の方が無理をしてないか?と問いたくなる。
その無理とは何かと言えば集団意識で、その輪に入っていないと仲間外れにされる、苛められる、嫌われてしまう、仕事を無くすかもしれない、立場を脅かされるかもしれない、最悪な展開では死に追いやられるかもしれないって所まで行きかねない。

今、アンチ・ヒーローの象徴的存在なのが大谷翔平だろう。
大谷のアンチは急増中で、アンチがどんな行動をするかと言うと、テレビでアナウンサーが「次は大谷選手です」と言った途端、チャンネルを変えるとか、話の話題が大谷になると興奮し、気付いたら周囲と口喧嘩になっていたとか、殴り合いになっていたとか、酒の席でビール瓶を握っていたとか、一種の拒絶反応を起こす。前にも書いた事があるのだが、アンチを作っているのは、一挙手一投足の如くストーカー報道をしているマスコミである。
水原事件が収束し、大谷の黒説を主張した黒派を、白派が「謝れ」と公共の電波を使って吠えるのも大人気ないし格好悪いだろう。
逆だったら白派は黒派に謝ったんだろうか?
大谷は白だ黒だと丁半博打みたいに盛り上がっていた時期は、推定無罪と言う状況下で、この時点では大谷が会見で嘘を突いて騒ぎを有耶無耶にして終わらそうとしてるんじゃないか?と言う疑いがあったのは仕方が無かったと思うよ。黒派も白派も、皆それぞれが<自分だけの仮説>を立てていた訳だし、黒派を擁護する訳じゃないけど、白派の人達も心の何処かで「大谷さんはイイ人だから悪い事をする筈が無い。だけど、もしかしたら・・・」って想いは持ってたと思うよ。こう言った想いも正常な反応だと思う。
仮説は仮説でしかないし、仮説である以上、それが間違っていたとしても恥じる事は無いし、責められる言われは無いと思うし、責める方も無駄な労力。当然、謝る必要も無いよ。