島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

大原街道9.

2024-05-22 | 京都へ、京都から

 「そすいさんぽ」の地図を借用。左の川が賀茂川、右の川が高野川です。

赤線に沿って疏水は流れています。

青点線が今歩いてる大原街道、左の青線が前回の鞍馬街道になります。

 そして今丁度、琵琶湖疏水の疏水分線である白川疏水道の青〇印にいることになります。

 その青〇に立って東を向いての写真です。

明治以降の大原街道は、疎水分線をまたぐことになり、疎水の水は東(画面奥)から西へ流れています。

 ここからもう少し西に流れた分水は、高野川の下をサイフォンの原理で越えて、松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水を送ってましたが、現在は高野川の下を流れる水路は無くなって、直接この水は高野川に流れてしまうそうです。

 したがって、高野川の西にある松ヶ崎浄水場には、今は琵琶湖の水は到達してないので、琵琶湖疏水分線は今ではここで終了です。

  =琵琶湖疏水分線=

滋賀県にある日本一の琵琶湖の水面の海抜は90ⅿ前後らしく、そこから南禅寺にあるインクラインまで約10㎞(第1疏水は20㎞)を、琵琶湖の水は疏水を通って流れてくるのですが、有名な水路閣のある南禅寺の海抜は60ⅿぐらい、水路閣の高さ13ⅿを足して70数ⅿです。

このわずか20ⅿぐらいの傾斜を保持して水を流すのですから、明治末の日本の土木測量技術もすごいですね。

本線はここから急流を下り、蹴上で水力発電に利用されたり水道水に使われたり、インクラインで船は南禅寺船溜まりから鴨東運河に降ろされ、京都・伏見・大阪へ荷物は船で運ばれました。

 さらにここから疏水分線(7.4km今は3.3㎞)が作られて、上水道や農業水としての機能が強化されました。

疏水分線は地図の写真のごとく、東山の山すそに沿って、不思議にも南から北へと引力に逆らうように流れ、哲学の道を流れて、大原街道を横切るここに至っています。

更に高野川をくぐって松ヶ崎浄水場の海抜70ⅿぐらいまで、水路閣から数mの高低差を流れているようなので、不思議と言うか技術力ですね。

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大原街道8.

2024-05-19 | 京都へ、京都から

 写真の地図は、また竹内康之さんの「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。

下方の出町柳から赤→とは逆に、やや高野川から離れるように大原通に沿って北上します。

 1908(明治41)年に竣工した鐘ヶ淵紡績(鐘紡)京都工場の跡地が、大原通が北大路に達する前に見えてきました。

赤レンガの建物の一部が残されて、公園になっています。

 1975年に閉鎖された工場跡は、1978(昭和53)年に、川崎清さん設計の公団東大路高野住宅として生まれ変わりました。

工場があったことは知りませんが、公団が出来たのは、私たちが松ヶ崎に引っ越してきた頃なので、憶えています。

 今では日本に沢山の外資系ホテルが有りすぎるぐらいですが、日本初のホリデイインがこの高野川沿いに出来たのは、1973(昭和49)年私が働きだした年です。

泊ったことは有りませんが、併設されたボーリング場の京都スターレーン・スケート場の高野アリーナは子供たちと使ったことあります。

 今そこは、島に行く前には「カナート」と言う商業施設になりましたが、島から帰ってしばらくすると、より近代的な「洛北阪急スクエア」と言う商業施設に鞍替えしていて、近場の買い物場所として利用していました。

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徳島旅行

2024-05-16 | 

 8ヶ月ぶりの一泊旅行。

娘夫婦と孫二人と私たち夫婦の6人で、婿さんの運転での旅です。

 助手席に座っていたら、たとえ高速道路でも、首を回して周囲の景色もゆっくり眺められ、天気も良かったですし、良いドライブです。

 鳴門の渦潮の観潮船を大鳴門橋通過の時に眺めていたら、肝心のブログ特派員としての写真撮影を忘れていたことに気づきましたが、時すでに遅し、もう四国に上陸寸前の、この小鳴門海峡に架かる撫養橋(ムヤバシ)通過の写真しかありません。

 徳島への旅は、家内の母親(92歳)の見舞いと言うか、家内よりしっかりしてる義母に家内を見舞ってもらう為の旅でした。

 一泊しての帰りは雨、大鳴門橋通過時も雨でした。

 明石海峡大橋通過時も雨、対岸の神戸も霞んでいました。

 10歳年下の義弟が、父の日に息子から贈られた「THE FIRST SLAM DUNK」のDVDを借りて帰ってきました。

 30年前、私の息子達もこの漫画世代で、それで40歳代だった私も愛読した最後の漫画が「SLAM DUNK」です。

 今回の映画は、桜木花道が主人公ではなく、この宮城リョータが中心に作られていましたが、もちろん他の4人それぞれの話もちりばめられて、懐かしく少しは感動しながら観てしまいましたよ。

バスケットの試合にしては、メンバーチェンジが少なすぎるのがやや気にはなりましたが。

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69.日向夏 鶴乃子

2024-05-13 | 菓子たくさん

 今回もゆで玉子は完璧に殻が剥けました?

でもこれは鶏の玉子ではなく鶴の玉子です。

 今回は割ってみても卵でしたが、本当は宮崎県産日向夏を使用した餡をふんわり生地で包み込んだ季節限定(5月~8月)「日向夏 鶴乃子」です。

 明治38年創業の博多の老舗 石村萬盛堂 の名物お菓子 鶴乃子 の一つですが、爽やかな酸味と香りの夏の風味と言うことです。

1個100~130円ぐらい、フワフワっとマシュマロよりも柔らかく食べられて、好きです。

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68.ごまたまご・チョコたまご

2024-05-09 | 菓子たくさん

 最近はゆで玉子はほとんど作らず、目玉焼きばかり。

それも蓋はせずに、ゆっくり弱火や余熱で目玉焼きを作ってますので、黄身は黄色いまま綺麗ですが、これで黄身はほぼまだ液体ですので、啜って食べてます。

 久しぶりにゆで玉子を作って、完璧に殻を剥いてみました??

 茶色いのもあるので、バレましたね。

完璧に剥けたゆで玉子ではなく、黒ゴマのペーストと黒ゴマ餡をカステラ生地で包んでホワイトチョコでコーティングした「ごまたまご」と、ココアスポンジでキャラメル餡とチョコフィリンクを包み込みキャラメルの香りを添えたダークチョコで仕上げた「チョコたまご」です。

舌を噛みそうな材料で出来てるややこしそうなお菓子ですが、東京の定番土産の様です。

 東京玉子本舗銀座たまやさんの「ごまたまご・チョコたまご」、1個170円ぐらいですかね。

 断面では完全に玉子で無いことが解りますね。(前から解ってます)

ゆで玉子も美味しいですが、この玉子たちも美味しいです。

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