「自然」に感謝の祈りを捧げない文明
さらに、この左脳文明は、自然を人間と切り離して「理解」しようとする傾向を内包しています。
自然は、叡智(高度な知恵と愛)で生成化育され、流転していますから、左脳の理解の限界を超えています。だからでしょうか、最初から理解を諦め、自然をその世界から排除しようとします。
愛というものは、左脳では理解できないのです。知恵も愛と一体ですから、左脳では理解できません。
自然科学にしたところで、自然の奥にある愛や知恵は全く扱いません。人間は、もっと奥の次元の叡智を感得することを大切にすべきでしょう。
右脳を重視すれば、それだけの知性は与えられています。この知性は、学歴と関係ありません。むしろ左脳に囚われがちな高学歴者は、この知性から遠のく訓練を施されている傾向があります。意識的に左脳的な思考の癖から脱却する必要があると思います。左脳からの脱却には愛や思いやり、良心が有効だろうと思います。
また、この六千年の文明は、そもそもの関心が人間社会での階層化から出発していますから、それに関する学問や思想の体系は発達しても、
自然そのものについては不得手なままで、愛を基礎とする知性が未開なままです。
宇宙の生成発展は「愛」がベースですから、本当の知性は、愛を基礎とするものであるはずです。「対立」に囚われている限りは、何かが足りないというサインだと思った方がいいでしょう。
我々地球人は、まだ未熟な知的生命体に止まっていると自覚すべき状態です。
都会に住んでおられる方なら、都市というものが、いかにコンクリートで覆われているか、お分かりだと思います。河川敷や公園くらいにしか地面は存在しません。これは異常なことです。
左脳的な理解では、愛や祈りは無力だと勘違いしがちですが、自らも属する自然に対して、日常的に愛や感謝の祈りを捧げることが(波動次元で)いかにとてつもない大きな影響を与えるかに目を向けた方がいいと思います。
それによって、自然は命を取り戻し、人間は自然の奥底とつながり、文明の形も変わるでしょう。
つづく