縄文化こそ時代の流れ
○それぞれに何かの課題に取り組む小さなコミュニティ(数人〜50人規模か)が自然発生的に生じ、コミュニティで様々な取組をして、これを外部に発信し、
○それに関心を持った他のコミュニティでも新たな視点や知見を加えて取り組む、
○コミュニティ間でネットワークが形成され、さらに大きなネットワークを形成する、
といった形が未来社会の姿であるように思います。
「取組」というのは、例えば、
◎お金を必要としない社会システムの構築、
◎脱貧困、助け合い、
◎新しいエネルギーの実験、
◎AIによる必要物資や富の生産、
◎「愛と感謝の祈り」の効果測定、
◎新しい政治の在り方(祀りベース)の実践的研究
○地域の魅力ある文化資源の発掘、
○環境問題の解決、
○映画など芸術の創作、
○スポーツ、
などなど。。
○一人の人間が興味関心によって、複数のコミュニティに属するのが当たり前で、
○コミュニティへの出入りは自由であり、
○成人になってからでも興味がある分野の専門的知見を学べる環境があり、
○専門家も興味関心に従って、自由にコミュニティに参画して、知見を提供する
といった形が理想的だと思います。
(こうなると、もはや義務教育を9年間もする意味はありません。元々、義務教育は産業革命以降、富国強兵と密接に結びついたものでした。「スクール型」の社会構造を洗脳する役割、従順な羊の群れをする役割も果たしていました。)
こうした社会の姿は、縄文時代の復活とも言えると思います。
集落の構成員の個々が自発的に役割を見つけ、学び、その役割を果たし、
その集落がネットワークを形成する、
という姿と瓜二つです。
こうした社会で、実験プロセスを経て、
AIやロボットの活用によって脱貧困・助け合いが当たり前になってくると、それぞれは自分の力をどう他の人のために役立てようというモチベーションが働き、争いは減るだろうと思います。
おわり