パラレルワールドの活用法

誰しも、一度はパラレルワールドを意識している。

 

精神世界を学んでいますと、パラレルワールド(並行世界)の存在を知ります。

ひとりの人間の人生には、いくつもの分岐点があります。
たとえば、AとBという選択のAを選んだあなたは、Aの道を歩んでいます。
ところが、Bという選択をしたBの道を歩んでいる、今と異なるあなたも存在する。
Aの世界とBの世界では、それぞれの道をそれぞれのあなたが体験している。

これが、パラレルワールド。

 

「あっちの道を選んでいたら、どんな未来になっていたのだろうか?」
これ、一度は考えたことがあると思うのですよ。
わたしも、後悔ではなく、原因と結果をしるために想像することはあります。

自分にとっては、いま歩いている道がすべて。
他の道が見えたとしても、「あっちの道が良い!」と、気軽に行き来も出来ないしね。
あまりにも膨大なパラレルワールドが創られていることを考えると、全ての道を理解するなんて、人間の脳では処理しきれません。
だから、並行世界を視るのは神様の分野です。
それなのに、人間が並行世界を知る意味はあるのだろうか?

 

わたしは、パラレルワールドを今の自分に活用しています。

お気に入りのカップを倒しそうになったとき、『うわっ!ヤバッッ!』ヒヤッとしますね。
倒さず無事だったときは、「はぁ~、よかったぁ」と思います。
さて、いま無事なルート(道)にいますが、倒したルートもありますね。
『倒さなかった道でよかった。感謝!』

倒してカップを割ったときは、「あ~、しくじった」残念な気持ちになります。
さて、無事なルートもありますね。
『じぶんは壊したルートにいるが、無事なルートの自分、良かったね』
すこし安堵する自分がいます。
しあわせなルートを歩んでいる存在を意識することが、慰めになるのです。

 

あるとき、大事にしていた指輪を外出先でなくしました。
清掃するのに汚したくなかったので、手洗い場で外したのです。ところが、これを無意識にしていたので、時間が経ってから指に嵌めていないことに気付いて、焦りました。
洋服のポケットは全て探しました。
手洗い場の台も床も、全て探しました。
友人たちと一緒だったので、大騒動。みんなが探してくれました。ところが見つかりません。
友人たちにも迷惑なので、なんでもない素振りをしながら帰宅しました。
帰宅すると、指輪を置いておく場所が空っぽなのを見て、落ち込みなおしました。

数週間後、空っぽの空間にフと視線を向けました。
「...なぜっっっ?!?!」
そこには、なくしたはずの指輪があったのです。

衝撃体験でしょう?
『なにが起こったんだ?』
もしも、ひょんな場所から指輪が見つかったなら、「よかった!」という体験をしているはずです。
ところが、その体験をした記憶がないのです。突然の一部記憶喪失???いやいや、脳は正常運転。
いまの私に物質を生み出す霊力はない。神さまがこんなことに介入することもないだろう。
となると、回答はこれしか思いつかない。
『パラレルワールドのルートを移動した』

 

並行世界は、分岐することもあれば、異なるルートと重なることもある。
全く異なる過去の記憶をもつ、身近な人間がいることがあります。どちらも記憶に確信がある
そんなとき、わたしは主張せずにひきます。
ルートを移動したな、と。

 

もしも、いまのルートに不満があるのならば、どんなルートならばよいのか想像します。
その想像した場所に、今の場所からどう向かえばいいのか、考え行動するのです。

そしたらね、いつの間にか、望むルートに乗っているでしょう?

 

しあわせな道を
歩みたいよね

 

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Posted by Hikaru