じゃない城(33) 遺跡発見気分の花園城

アクセス:秩父鉄道 波久礼(はぐれ)駅から徒歩30分で”諏訪神社”登城口 (お城南側)

皆さんこんばんは Okkapiki(おかっぴき)です。今日は埼玉県寄居町にある花園城をご紹介します。このお城、平安時代末(保元年間 1156~1159年頃)に在地の有力国衆である藤田氏によって築城され、以後15代もの長きに渡り藤田氏が城主でした。が1558年頃、後北条氏お得意の婿入り→乗っ取りにあい、以降は北条氏のお城となり、荒川を挟んで対岸にある寄居城の支城としての役割を果たします。そして1590年北条氏滅亡により廃城となりますが、約440年もの長い歴史を持つ中世の山城です。お城への行き方ですが、秩父鉄道の波久礼(はぐれ)と言う駅で降ります。

趣のある無人駅です。ここから東に向かって登城口である諏訪神社に向かって30分近く歩きます。

歩いている途中から、あれが花園城のある山だな、と言う事がなんとなく分かります。ここで登城口について注意です。ナビで”花園城”と検索すると、城の北側にあるトーヨーマテランと言う会社の工場(2024年2月現在)の駐車場から登る登城口に連れて行かれます。

(写真は北側の登城口) この登城口からは登らないようにしましょう。道がなく、ポツンポツンとピンクテープは貼ってくれているのですが、途中でなくなるため道に迷ってしまいます。そもそも城の遺構が北側には全くないため、登る価値も無いと思います。よって南側の諏訪神社登城口に向かって下さい。

南側登城口にある諏訪神社の鳥居。北側と違い登城路が分かり易くてホッとします。

縄張り図です。途中から登城路が無くなるので、上の写真に記載のある “竪堀(たてぼり)6” の中を登って行きます。落ち葉がツルツルして滑って登りにくかったです。登っていて、左の至近にもう一本竪堀があって「え ?! 」って思ったのですが、この二重竪堀は藤田氏築城の山城で見られる特徴なんだそうです。この竪堀6を登りきると三ノ曲輪と二ノ曲輪を分ける堀切3に出て来ます。

堀切3です。ここまでの竪堀が急に深くなり、写真左側の二ノ曲輪に登ります。

続いて二ノ曲輪と本曲輪を遮断する堀切4は、かなり深くて見事です。自然の岩を掘削して造った堀切である事が分かります。ここで切り出された岩が、腰曲輪の石垣に使われているとの事。ここを渡るといよいよ本曲輪です。

本曲輪に着きました。今までの曲輪とは違い、明らかに広いです。特に遺構や説明版がある訳でもないので、そこそこに本曲輪を去り、石垣があると言われている腰曲輪を探します。

上の縄張り図のどこか不確かなんですが、まあ良くもこんなに掘ったな、と言うくらい深い堀切が有りました。元来た堀切6を下りながら、行きは上しか見てなかったのですが、今度は石垣を探すため、脇にある腰曲輪を注意深く見て行くと・・・

一つの腰曲輪で北側と東側に低い石垣を見付けました。上の写真は北側です。説明版も何もないため、自分が一番最初に見つけたかのような錯覚を起こしてしまいます。

東側の石垣です。自然にあるがまま放っておかれた石垣が良い感じです。こんなに低い石垣なので、敵からの防御ではなく、土のままだと崩れるので石垣化したのでしょうか?それにしても、いつ頃の石垣なんだろう。このように見事な竪堀や堀切、そして忘れ去られた石垣等とても野性味のあるお城ですので、是非行ってみて下さい。

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途中、景色の良い場所があり “ジュンちゃんの展望台”と書かれてました。ジュンちゃんって誰?(笑)

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