じゃない城(32) 松永久秀最期の 信貴山城

アクセス:近鉄生駒線信貴山下駅からバスで10分、信貴山バス停下車 (*大阪側からも行けますがケーブルカー乗車のため、奈良側からの方が便利)

みなさんこんばんは Okkapiki(おかっぴき)です。今日は奈良県平群町にある信貴山(しぎさん)城をご紹介します。信貴山城と言えば松永久秀のお城で、1577年信長への二回目の謀反で籠城しますが4万の兵で攻められ落城、信長が所望して止まなかった名物の平蜘蛛(茶釜)と共に爆死して最期を迎えたと言われています。ただ実際は、平蜘蛛を火薬にて粉々にした後に自刃したのであって、爆死は後世に盛られた俗説のようです。あの信長に2回も反旗を翻したり、あの信長をして「常人が成し得ない3つの事をやってのけた天下の大悪人」(3つとは主家殺し・将軍暗殺・東大寺大仏殿放火の事ですが、全て実行犯ではないため、真偽のほどは不明)と言わしめた、なかなかの人物だと思われます。更に多聞城(奈良市)にて安土城よりも古い最初期の天守や、城壁が建物化した櫓(多聞櫓)を最初に築いたりと、日本城郭史においてもパイオニア的な人物です。そんな人だからこそ「自分は信長の下ではやって行けない」と言う思いがあったのではないでしょうか。また信長が大和の国を久秀ではなく筒井順慶に治めさせようとしたため、自分はいつか抹殺されるとの疑心暗鬼に陥った結果、二回もの謀反に至ったのだと思います。

一般に信貴山と言えば、虎でお馴染みの朝護孫子寺(ちょうごそんしじ) の事で、ここにお城があるなんて知っている人も少ないと思います。行き/帰りどちらでも良いのですが、霊宝館と呼ばれる宝物館には是非立ち寄ってみて下さい。楠木正成の花押の入った菊水紋の軍旗、伝正成所有の兜が展示してあります。複製ではなく本物です。

また複製ではありますが、国宝の信貴山縁起絵巻が現代文解説付きで展示されていて、ストーリーが面白いです。お城への登城口は、この宝物館の手前にあります。頂上の奥の院に向かって登って行くと信貴山城址の石碑があります。

石碑を境に、反対側にお城の遺構が広がります。

山頂から見える奈良盆地の景色は、なかなかの絶景です。

縄張り図。見どころは石碑のある山頂の雄嶽から順に下って、立入屋敷跡 → 松永屋敷跡になります。またこの縄張り図には記載がないですが、松永屋敷跡を更に下った最北端部には、わずかですが石垣も残っています。

頂上からくねくね折れる坂を下って行き、途中曲輪跡のような削平地を過ぎると、山城らしい雰囲気に変わり、立入屋敷跡に着きます。ここは久秀の重臣である立入氏の屋敷があった所です。しかし家臣の曲輪がなぜ主君よりも高い場所にあるのだろう?と疑問に思ってしまいました。広い削平地を確保するため、裾野に近い方に久秀の屋敷を置いたのでしょうか。

下の曲輪から立入屋敷を見上げると、ご覧の通りとても高い場所にあります。防御の点からも、こちらの方が主君の曲輪に相応しんじゃないかと思いました。

とても急な切岸がいくつも続きます。階段の設置された斜面は良いのですが、そうでない斜面は本当に傾斜が急で要注意です。他に人もいないので、こんな所で転んだりしたらたら大変です。

松永屋敷に行く手前に信貴山城と松永久秀の説明版があり、お城の歴史的背景が良く分かります。同じような景色が続き退屈になりがちなので、このような説明版はメリハリが効いていて有難いです。藪も少なく良く整備されており、地元自治体の皆様に感謝です。

そしてようやく入口に虎口と櫓跡らしき突出部を持つ松永屋敷跡に着きました。確かにここまで見て来た曲輪の中でも一段と広いです。欲を言えば、建物跡の礎石などが残っていれば良かったんだけどなぁ、と思いました。更にこの先を下って行くと石垣があるのですが、なんせ一段一段がとても急で危険ですので、一人で来られた方にはお勧めしません。僕はここから折り返し、また寺からバスで駅まで戻りました。このように急斜面の切岸が連続するダイナミックな山城跡、なかなか見応えがあってお勧めですので是非行ってみて下さい。

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山の頂上から向こうが山城跡。南側はご覧の通り天険の要害です。

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