前回、韓国系移民のゲイ友Kに招待してもらった彼の旦那Tの誕生会の話を書きました。パーティーに来ていたKの両親と色々会話しましたが、Kが家族にカミングアウトをした時の昔話やKがTを紹介した時の話もしてくれました。その心温まる話をブログにしてみたいと思います。

 

 

Kの家族は韓国からの移民。Kがまだ小さい時に米国に移住してきました。お父さんの実の弟さんは日本人女性と結婚して大阪に住んでいる関係で、日本人である私に何かと気を遣ってくれました。フォレストヒルでクリーニング屋を営みながら、苦労してK含め子供3人を育て上げたそうです。男の子はKだけ。Kがお嫁さんをもらって、孫ができることが楽しみだったそうで、Kからカミングアウトされた時は夫婦二人で大泣き。当時Kはボストンの大学院に通っていて、帰省した時に韓国人の女性とのお見合い話を持ち出された勢いでカミングアウトしたものの、気まずくなり帰省の予定を短縮してボストンに舞い戻り10ヶ月近く連絡を絶ったそうです。それでも、親子の縁を切るなどアジア移民一家にありがちな極端な行動には至らず、ご両親は黙ってKの生活費や学費などの送金はしてたんですって!

 

そんな深い話を初対面の私にするか〜という素朴な疑問は置いておいて、お父さん曰く、本当はKが女の子みたいなところがあるなと小さい時から薄々と気がついていたけれど、できるだけ考えないようにしていたというのが真実。よって、Kのカミングアウトは「ついにこの日が来たか」という感じだったのだそうです。一方、お母さんの方は全く気がついていなかった。よくカミングアウトしたゲイ数人から「母親はなんでも知ってる。きっと君のお母さんももう知ってると思うよ」と同じような話を聞きましたが、Kのお母さんに限ってはそういう訳はないのですね。お母さんは、熱心なキリスト教。所属してる韓国系の教会の教義では同性愛は罪なので、自分の息子がゲイだと知って相当ショックだったでしょう。それでも、息子が自分らしく生きることこそ、親にとっての最大の幸せと思い直し何年もかけて、今のように息子夫夫の誕生会に参加するほどサポーティブになったそうです。

 

この話を聞いて、名作ゲイ映画「ウェディング・バンケット」を思い出しました。「ウェディング・バンケット」は1993年の映画。NYに移住し帰化した台湾出身ゲイと、その恋人である白人男、そして知り合いの中国人女性を描いたヒューマン・ラブ・ストーリーで、「ブロークバック・マウンテン」で有名なアン・リー監督の初期の名作です。

 

 

あらすじを書くと、「ウェイトンは台湾からニューヨークに渡り成功をおさめていた。彼には一緒に暮らしている同性の恋人サイモンがいるが、彼がゲイだと知らない両親がやって来ることになった。困り果てたウェイトンはグリーンカードを欲しがっている中国人女性ウェイウェイと偽装結婚を行う事にするのだが……。」という話。この映画の中でも、父親はウェイトンのことをゲイだと気がついていたけれど、知らないふりをしていたという件がありました。台湾と韓国、そして時代の違いはあるけれど、昔も今も、アジア系移民の間での子供の「結婚」をめぐる親の期待やプレッシャーは変わらないのだなと改めて思います。一方、「ウェディング・バンケット」の中の両親も、Kの両親も、ゲイの息子を理解しようとする広い心があって良かったです。

 

 

Kのカミングアウトから数年経って、Tと結婚することになった頃には、お母さんも全てを受け入れ、今やTのことをもう一人の息子と呼んでいます。KがTをはじめて連れてきた時は、すぐにTのことをKが愛する人で、自分たちのファミリーメンバーになるんだと確信したそうです。それ以降ずっと仲良し。誕生会の時に、お母さんが「義理の息子(Tのこと)が韓国料理大好きで私たちも幸せなのよ〜」と嬉しそうに話していた姿を見て、私まで嬉しくなりました。

 

両親にカミングアウトしてない私にはちょっと考えられない状況だし、Kの真似して自分の旦那を日本の両親に紹介して義理の息子と宣言して受け入れてもらいたいとは思いません。しかし、Kのご両親と話していて、親が自分の子供が同性愛だと知った時の感情をどうプロセスして、その後の関係性を構築する過程は色々だなと、親側の優しさを垣間見ることができました。あの日のを思い出すだけで、とてもあたたかな気分に包まれます。