1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故は、犠牲者520名という単独機としては世界最悪の航空事故となりました。この痛ましい事故に対し、日本航空(JAL)とボーイング社は遺族一人あたり約6,000万円(現在の価値に換算すると約8,000万円)を慰謝料・賠償金として支払ったとされています。
データ・マックス記事の核心情報
NeltB-NEWS 「日航123便訴訟 原告「慰謝料の部分だけ和解」 争点は新証拠の扱い」

訴訟の核心的事実
-
「慰謝料のみ和解」の法的意味
原告遺族が「生活困窮者救済」を理由に慰謝料部分のみを受け入れた経緯(賠償責任の法的認定回避) -
新証拠の概要
-
自衛隊模擬ミサイルの存在(相模湾での護衛艦試験との関連性)
-
垂直尾翼に11トン外力の痕跡(運輸安全委員会報告書付録)
-
中学生目撃証言「真っ赤な飛行機」の作文記録
-
訴訟の法的争点
請求項目 | 法的根拠 | 被告側の反論 |
---|---|---|
ボイスレコーダー開示 | 憲法13条(人格権) | 過去和解の効力主張 |
フライトレコーダー開示 | 個人情報保護法28条 | 信義則違反不存在 |
PRESIDENT on line
「JALはなぜボーイング社を訴えられなかったのか…「日航ジャンボ機墜落事故」を闇に葬った中曾根政権の圧力

中曽根政権の関与実態
-
日米関係の力学
プラザ合意(1985年9月)締結直前の政治判断(円高対策優先) -
防衛庁の技術開発
当時進行中だった国産ミサイル開発(AAM-3)と試験日程の整合性問題 -
司法捜査への介入
群馬県警の初期捜査方針転換(運輸省技術者への事情聴取抑制)
日航の法的立場の脆弱性
-
委託契約の落とし穴
ボーイング社への「全権委任」条項(航空法第70条違反の可能性) -
整備マニュアル不備
JAL自社整備基準の曖昧さ(米国FAA規格との整合性欠如)
文献間の相互補完関係
項目 | データ・マックス | PRESIDENT Online |
---|---|---|
事故原因 | 外部要因説 | 修理ミス説 |
焦点 | 情報開示権 | 政治的圧力 |
時系列 | 2025年訴訟状況 | 1985年当時の政治判断 |
-
自衛隊ファントム機の飛行記録
防衛省が非開示とする「1985年8月12日の訓練日程表」 -
相模湾の海底調査
2024年に実施された最新ソナー探査の未公開データ -
プラザ合意文書
外務省が2040年まで非公開とする日米協議メモ
これらの資料は、公式事故調査報告書では触れられていない「政治的要因」と「技術的盲点」を補完する貴重な情報源と言えます。特にPRESIDENT Online記事が指摘する中曽根政権の関与は、国鉄民営化(1987年)との政策連動性から再検証が必要なテーマです。
今回は、この賠償金の額に加え、なぜJALとボーイング社が責任を負うことになったのか、その背景を分かりやすくまとめていきます。
JALとボーイング社の賠償責任
ボーイング社の責任 ― 修理ミスと設計ミス
1978年、大阪空港での「しりもち事故」の際に破損した後部圧力隔壁をボーイング社が修理しました。しかし、その際に2列でリベット留めすべき接合部を1列だけで施工するという、明らかな修理ミスを犯していました。
この不適切な修理によって、事故までの7年間で疲労亀裂が進行し、最終的に隔壁が破壊。事故調査委員会は、「ボーイング社の修理ミスが直接の原因」と公式に認定しました。
日本航空の責任(運航会社としての監督不行き届き)
日本航空は、ボーイング社に修理を完全に委託し、その後の定期点検や整備でも問題を見つけられませんでした。
また、事故調査では、「JALの検査・監督義務の怠慢」が指摘されました。
JALは事故後、道義的責任を重く受け止め、社長の辞任や役員の引責辞任が相次ぎました。
JALの責任:監督の義務の怠慢
経緯: JALはとりあえず修理を委託したもの、その後の点検でミスを見抜けませんでした。 事故後、隔壁の疲労亀裂を定期点検で安全だったことが批判されました。
日本では、企業が事故を起こした場合、法的責任の立場に敵対社会的責任を負う慣習がある。整備管理者らが自殺するなど、道義的な責任を強く意識した。(整備管理者の自殺については、墜落から約1ヶ月後の1985年9月12日に、JALの羽田整備工場のメンテナンス・コントロール室調査役で遺族担当のH・T氏が自殺したという報道があったことが記されています。しかし、この情報の信頼性については疑問が呈されており、自殺の方法が不可解であると指摘されているので事実ではない可能性が多いです。)ただ、遺族の担当だった元客室乗務員によると、電車に思わず飛び込みそうになったということは聞いたことがあります。
事故後、一部の遺族はアメリカでボーイング社を提訴し、高額な損害賠償を求める動きがありました。
日本国内でも、刑事訴追が検討されましたが、ボーイング側が社員の事情聴取を拒否したことや、刑事責任を問うための時効(5年)が経過していたため、結局、立件には至りませんでした。
こうした状況の中で、JALとボーイングの両社は、社会的責任を重く受け止め、遺族との和解交渉に応じる形となりました。
JALの株は、暫定利用者が3分の1に減り、経営危機に。2010年の危機につながる遠因とも言えます
賠償金の金額と和解の経緯
● 遺族一人あたりの賠償金
- 当時、JALとボーイング社が1人あたり約6,000万円を支払ったとされています。
- 物価上昇率などを考慮すると、現在の価値にして約8,000万円相当になります。
● 総額と和解までの流れ
- 一部報道によれば、JALとボーイング社が支払った遺族への補償総額は1億~2億ドル(約150億~300億円)とされています。
- 遺族側の訴訟もありましたが、1991年までに大半が和解成立。
- 和解条項には「今後、いかなる請求もしない」と明記されており、以後の追加請求は原則として認められていません。
現在も続く遺族による真相究明
事故から40年近く経過した今も、遺族の一部は新たな証言や証拠を求めて活動を続けています。
特に、垂直尾翼に11トンもの外力が加わった可能性や、誤って発射された模擬ミサイル説など、未解明の部分が依然として議論されています。
この事故がもたらした教訓
JAL123便事故は、単なる技術的なミスやヒューマンエラーではなく、企業経営のあり方そのものが安全に直結することを痛感させた重大な事故でした。
当時、日本航空は利益の最大化を目指し、効率と収益を重視する経営方針を推し進めていました。そして今JALは倒産から立ち直ろうと、アメーバ経営による部門別採算制度が導入され、各部門が「自部門の業績向上」を最優先事項としています。その結果、本来最も重視されるべき「安全の確保」や「全体最適」への意識が薄れ、業績目標達成に追われるあまり、安全管理が後回しにされるという本末転倒な状況になるのではないかと感じています。
また、「安全」と「利益」という、決してトレードオフにしてはならない両者のバランスを取ることなく、どちらも完璧にこなすよう求めた経営の矛盾が、現場に過大なプレッシャーをかけ、組織全体にゆがみをもたらすかもしれません。
命に関わる仕事において、短期的な収益や効率を優先することは、取り返しのつかない事故につながるということを、私たちはこの悲劇から学ばなければなりません。
事故を通じて示されたのは、
「安全はコストではなく、企業の根幹そのものである」
という原則です。
この教訓を忘れたとき、同じ過ちが再び繰り返される可能性は消えません。
まとめ
- JAL123便事故では、遺族一人あたり約6,000万円(現在の価値で約8,000万円)が支払われた。
- 主な責任はボーイング社の設計ミスであり修理ミス、日本航空の監督不行き届き。
- 和解金は合計で150億~300億円規模とされる。
- 現在も一部遺族は真相究明を求め続けている。
悲劇を繰り返さないためにも、この事故の教訓は今も重く受け止められています。
出典:
日航123便訴訟 原告「慰謝料の部分だけ和解」 争点は新証拠の扱い
https://www.data-max.co.jp/article/63290
JALはなぜボーイング社を訴えられなかったのか…「日航ジャンボ機墜落事故」を闇に葬った中曾根政権の圧力
https://president.jp/articles/-/84121?page=1
コメント