日光街道 街道を歩く その3 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 竹の塚→南越谷

街道ウォーク
photo by ゆう
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日光街道 その3 竹の塚→草加宿→南越谷

日光街道その3は、竹の塚→草加宿→南越谷を歩きます。
距離は15,6Km、所要時間は4:10時間 19,138歩、消費カロリー1627kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

竹の塚→草加宿

竹ノ塚駅から商店街を抜けて旧街道を目指して歩きます。前回訪ねた十三仏の前を通って草加宿へ。

右手に見えてきた日蓮宗「法華寺」は先日訪れた小塚原の刑死者の菩提を弔う寺。門を入ってすぐ、お百度参りでお馴染みの「百度石」と稲荷大明神も祀られています。

法華寺 本堂

お百度参りは参道の入口から本堂までの往復参拝するもの、こちら本堂までは結構距離があります。願いを成就させるのはいつの世も大変ということ、人の執念とは恐ろしいものです。

竹の塚駅
法華寺 稲荷社 百度石

国道4号線を超えて旧道を進み、すぐ左手の保木間の「水神宮」を過ぎて毛長川に架かる水神橋を渡ります。足立区とはお別れ、埼玉県草加市に入ります。

水神宮
東京から埼玉へ

しばらく進むと街道沿いに鳥居が見えてきました。街道歩きではお馴染みの「富士浅間神社」。

こちらは瀬崎村の総鎮守で、現本殿は1842年に再建されたもの。前面に軒唐破風、千鳥破風が配され、彫刻も見事な贅を尽くした造り。富士講が盛んだったことがうかがえる史跡も多く残されています。

富士浅間神社 本殿
富士浅間神社 手水鉢

お隣は浅間神社別当の「善福寺」。山門横には正徳三と刻まれた古い「庚申青面金剛像」、参道の六地蔵の先に本堂があります。真言宗豊山派の「輪違」といわれる金色に輝く宗紋が印象的。これは凡聖不二、仏さまと私たちは同じで異なることは無い、という教えを表します。

善福寺 庚申青面金剛像
善福寺 本堂 正面には輪違

東武谷塚駅を過ぎて吉町五丁目の交差点まで進んできました。こちらに、「火あぶり地蔵尊」なる物騒な名前が付いた祠がたっています。ここは、昔の処刑場跡と伝えられており悲しい言い伝えが残っています。

母が病気なので、おひまをいただきたいと願いますが、奉公先で聞き入れてもらえません。評判が良かった女中でしたが、家が燃えてしまえば帰ることが出来ると考え、何と放火をしてしまったそうです。

火あぶり地蔵尊

火つけは火あぶりの刑と決められています。親孝行な娘を哀れんで村人はお堂を建立し供養したというのが、こちら火あぶり地蔵尊のお話。親を思う子の気持ち、胸が熱くなります。「罪を憎んで人を憎まず」孔子の言葉は重いですね。

交差点の先、草加せんべいの看板が見えてきました。慶応元年創業の「いけだ屋」さんです。

いけだ屋 入口

三代目岩松さんが組合を結成して、草加せんべいを全国的に有名にしたといいます。品質とおいしさについてもこだわりのせんべい、生地づくりから焼き上げまでの一貫製造がなせる業。日頃何気なく口にしているせんべいですが、お米を洗う所から仕上げまでに、なんと15もの行程があるそうです。

まだ歩き始めですが、こしひかりのお煎餅をお土産に購入して先へ進みます。一袋しか買っていないのに、おまけのお煎餅も頂きました。老舗の余裕と風格、私はおまけ一つで感じてしまいます(笑)

草加せんべい いけだ屋
おみやげとおまけ

旧日光街道への分岐点にやってきました。「今様草加宿」と書かれた標識が立っており、ここを左に進むと旧道で草加宿となります。

日光街道2番目の宿場町として誕生して400年の歴史を誇る草加。子供たちに誇れるふるさと草加を目指して、NPO法人化したのが今様草加宿ということです。観光ガイド含めて、まちづくりを進めていらっしゃいます。

今様草加宿 案内

草加市役所の前、交差点脇にお堂があります。この庁舎は浅古家の土地を購入して建設されたもの、浅古家にあったのが、この子育て地蔵が祀られているお堂。長い間市民に親しまれている大切なお地蔵様です。

江戸時代の豪商の家に祀られていただけあって、時代を感じさせる彫刻も見事。庁舎建設時に、移設しないでそのまま残しておくなんて、草加市の粋な計らいです。

地蔵堂
旧日光街道 草加宿へ

旧道らしい雰囲気が感じられる道を進むと「草加神社の社標」があります。こちら、右に進むと浄土宗の「回向院」、こぢんまりとした落ち着いた雰囲気で安らぎます。

すぐ先の大通り沿いにある「三峰神社」も小ぢんまりと地元に密着した神社の様相、火盗除けのご利益は大切ですから近隣の方から大切にされてきたんでしょうね。

草加神社 社標
回向院 本堂
三峰神社

旧道戻って、日光街道道標、葛西道道標、草加町道路元標を確認して、長い参道を奥へ歩いて「八幡神社」へ向かいます。こちらにある、高さが83cmもある大型の「獅子頭」は市の指定文化財。残念ながらポスターで見るだけとなりますが、確かに立派です。

八幡神社
八幡神社 獅子頭

宿場の中心部に入ってきました。江戸時代からの面影を伝える、格子の装飾が見事な「藤城家」が旧道の雰囲気を、より魅力的にしています。

藤城家

三丁目橋と刻まれた標石を過ぎれば、「草加宿本陣」、「大川本陣」と「清水本陣跡」の石碑が建っています。案内には宝暦年間までは大川本陣、それ以降明治初期までは清水本陣が置かれ、会津藩松平、仙台藩伊達、盛岡藩南部、米沢藩上杉らが休泊したとあります。

石碑のお隣には、四丁目会館の看板と共に「氷川神社」の鳥居と社殿。町の氏神さまらしく、こぢんまりとした造りですが、脇を固める狛犬が何とも凛々しい姿です。

清水本陣跡
氷川神社

街角事業として改修された、草加せんべい伝説上の創始者「おせんさん」の名前がついている休憩所が「おせん茶屋」。斜め向かい側に「元祖源兵衛せんべい」と味わいのある文字で書かれた黄色の看板が見えてきます。

源兵衛せんべい

創業明治三年、大正天皇にも献上した手焼き煎餅のお店。初代源兵衛が新潟の地より草加住み、茶店を開いて日用品を売り始め、女達は副業としてせんべいを焼き始めたそうです。

お徳用のこだわりの手焼き醤油せんべいをお土産に買って帰ります。店頭脇には手焼き用の囲炉裏が。

せんべい囲炉裏
手焼き醤油せんべい

お店のすぐ横、「東福寺」の門柱があり参道が続きます。山門へ進むと大川図書創建、草加八景の案内。図書は小田原北条氏に仕え、その後この地に移り住み草加宿の建設に着手した開基。

江戸末期築造の本堂には文化財の欄間、彫刻が見事な鐘楼、大師堂、不動堂があり、弘法大師が法具である三鈷杵(さんこしょう)を投げた話にまつわる「三鈷の松」もあります。落葉した松葉は縁起物、財布に入れておくとお金が貯まるらしい。

三鈷の松
東福寺 不動堂
東福寺 本堂 鐘楼
彫刻

街道に戻り、大きな「おせんべいの看板」を見て進めば、江戸時代末の建設といわれる町屋建築の「久野家住宅」。二階建てのように見えますが背の高い平屋で、江戸大地震、関東大震災にも耐えたそうです。

迫力のおせんべい
久野家住宅

街道が賑わってきました。最初に登場するのが草加宿総鎮守の「神明宮」、1713年創建です。鳥居の横に漢字の「木」に似た見慣れない記号があります。明治時代に彫られた「高低測量几(き)号」といい現在の水準点、このような標石の存在自体知りませんでした。まだまだ、知らない事が多いです。

神明宮
高低測量几(き)号

お向かいには、芭蕉の門人で奥の細道に随行した「河合曾良像」、曾良旅日記を残しています。地名や区間距離などを記した日記形式のものらしいです。芭蕉研究者には客観的なだけに貴重な資料なんでしょうね。

河合曾良像

おせん公園内には大きくて丸みを帯びた「草加せんべい発祥の地」の石碑、お煎餅のイメージなのでしょう。

案内ボードには草加せんべいのルーツが書かれています。おせんさんは団子が売れ残ると川に捨てていましたが、武者修行中の侍から「もったいない、つぶして天日で乾かして焼餅として売っては」と教えられ売り出したところ大評判になり、日光街道の名物になったそうです。

草加せんべい発祥の地

せんべいについて、ルーツや名前なんて考えたこともありませんでした。日頃手にしているのは、新潟の大手メーカーのおせんべい。これからは、ハンドメイドのせんべいを求めるようにして「おせんさん」を想いながらポリポリ頂くことにします。お土産は仕入れてあるのでひと味違うことでしょう。

草加宿→南越谷

綾瀬川沿いの札場河岸公園に「芭蕉像」があります。途中千住宿でもいくつか見てきましたが、こちらの芭蕉像は川沿いの公園内に立つ旅姿ということもあり別の良さがあります。

芭蕉像

河岸とは船からの荷物を積み下ろしする所。札場河岸、もともとは甚左衛門河岸といい私河岸だったそうです。

草加の農産物を江戸へ、江戸から肥料や日用品を草加へ運ぶ舟運が盛んだった場所、綾瀬川は多くの舟が行き交う大切な運河、この先隅田川から江戸へと通じています。船着き場が再現され往時の雰囲気を出しています。

再現された船着き場
綾瀬川

正岡子規、高浜虚子句碑もあり俳句好きにはたまらない公園。「梅を見て野を見て行きぬ草加まで」子規。「順礼や草加あたりを帰る雁」虚子。

正岡子規 句碑
高浜虚子 句碑

国指定名勝の「おくのほそ道の風景地 草加松原」を歩いていきましょう。草加松原は634本の松が植えられた綾瀬川沿いの全長1.5kmの石畳の遊歩道。

すぐ左に「日本の道百選碑」が登場します。歴史性や美観、機動性などを基準とし1986~87年に選ばれたのが日本の道100選。東京では皇居内堀通りや銀座の中央通りが100選に入っています。

日本の道百選碑
参勤交代 タイル絵

のんびり川沿いを歩いていくと、先にはアーチが美しい「矢立橋」が見えてきました。県道と交差する歩道橋ですが、木目が再現され昔の木の橋のようでいい感じです。太鼓橋の上から見る眺めも気持ちがいいもの、橋には参勤交代の様子が「タイル絵」で描かれています。

矢立橋

ドナルド・キーン揮毫の草加松原「名勝碑」には奥の細道の工程図も、キーンはニューヨーク生まれの、奥の細道を世界に広めた日本文学者で2008年に文化勲章を受章しています。

続いて登場するのが、こちらも見事なアーチ型の「百代橋」。橋の上からは獨協大学前の駅が見おろせます。

松尾芭蕉「奥の細道碑」には、「月日は百代の過客にして」が刻まれています。そして、「その日ようやく草加という宿に」と刻まれた松尾芭蕉「文学碑」と続き、歩いていけば草加松原の北端に到着です。

名勝碑
百代橋
奥の細道碑

「水神、青面金剛、馬頭観音」、3体が祀られている祠を過ぎ、外環自動車道のガードをくぐります。

大きな壁画は芭蕉と曾良、おくの細道の旅を想像して描いたタイル絵との案内。絵画や浮世絵とは違った温かみがありますね。

小さいながらも、きれいに整備された金明愛宕神社を左手に見て歩いてゆけば、すぐ蒲生大橋。

石仏祠
おくの細道壁画
愛宕神社

橋を渡ると、前方に大きな木が見えてきます。「蒲生の一里塚」で埼玉県内日光街道に現存する唯一の一里塚。すぐ横に愛宕神社も残っています

川沿いには、河岸場を復元した「藤助河岸跡」が見えます。向かいの「藤助酒店」は二階の格子が美しい町屋造りが目を引きます。歴史ある建物です、御子孫の方が経営されているのでしょうね。

藤助河岸跡

藤助河岸は江戸時代中期の創立で高橋藤助の経営。年貢米が積みだされたほか、大正時代には越谷、粕壁、岩槻などの特産荷が荷車で運ばれ、高瀬船に積み替えられて東京に出荷されたとのこと。

蒲生の一里塚
藤助酒店

旧日光街道は綾瀬川沿いを離れて住宅地へ入り茶屋通りとなりました。しばらく進むとお堂の中に「不動明王道標」があります。是より「大さがミ道」と書かれた道標で、隣には青面金剛も見られます。

左手には、わらじがぶら下がった小さな祠があります。中には鳥のような石の塔がたっており、「ぎょうだいさま」と呼ばれています。道中の安全祈願でわらじが備えてあるようです。

不動明王道標
ぎょうだいさま

大通りと合流する手前に大きな黒門、松林の参道を進むと山門です。真言宗の「清蔵院」、別称蒲生観音、蒲生不動尊、総本山京都智積院とあります。

清蔵院 黒門
清蔵院 山門

山門は1638年建立、欄間には「龍の彫刻」があります。この龍、左甚五郎作といわれ、夜な夜な山門を脱け出して畑を荒らしたことから、金網で囲われている。このような、ちまたの伝説があるようです。

広い境内には、本堂の他不動堂、大師堂、朱色の鐘楼、南無大師遍照金剛の空海像がみられます。

金網に囲われた龍の彫刻
清蔵院 本堂 鐘楼

蒲生駅を過ぎて一本裏の通りに入ると、住宅街に「寿神社」。扁額には久伊豆宮とあり、埼玉県の元荒川流域を中心に多く点在する久伊豆神社のひとつです。コンパクトにまとまった管理が行き届いた神社。

街道に戻るとしばられ地蔵本舗「えびす」、満願どらやきの看板。

満願どらやき、いちごと小倉、江戸の松を購入。一般的などら焼きよりサイズが大きくて、食べてるって満足感が得られそうなどら焼き。帰宅後、餡小豆の味が濃く感じられ、イチゴとの相性もバッチリ、イチゴ大福とは違う幸福感を感じながらおいしく頂きました。どら焼きは餡はもちろん、皮も大切。こちらも甘さ控えめな主役の餡を盛り立てる仕上りで大満足。

寿神社
菓子処 えびす

気になるしばられ地蔵については、こんな話があります。

呉服問屋の手代が地蔵の横に反物を置いたまま居眠りをしてしまい、盗まれてしまいます。調べにあたった名奉行「大岡越前」は泥棒を黙ってみているとは同罪だと、地蔵を縛って市中を引き回し奉行所へ運びます。

奉行所にはお裁きに興味津々な多くのやじ馬がなだれ込むことに。そこで、門を閉めて大岡は「奉行所へ乱入とは不届き至極、罰として反物一反の過料申付ける」と一声。結果、奉行所に反物が集まり、その中から盗まれた反物も出てきました。調べにより、盗人はお縄になり一件落着。ということです。

満願どら焼き

これもお地蔵さんの霊験のお陰ということで、「お願いする時は縛り、叶うと縄を解く」という風習が生まれたそうです。しばられ地蔵本舗、満願どらやき、願いが叶いそうなおめでたいネーミングの和菓子屋さん。

本日のゴール南越谷手前に「明治天皇田植御覧之處碑」が建っています。明治9年に蒲生村に立ち寄り、200名ほどの農民による田植えをご覧になられたそうです。日清日露戦争の忠勇碑と共に並んでいます。

明治天皇田植御覧之處碑
南越谷駅

ようやく南越谷駅に到着。こちらはJR武蔵野線の南越谷駅、東武スカイツリーラインの新越谷駅が併設。二路線交わる駅だけあって駅前は各出口にロータリーが整備、駅ビルやショッピング街も充実のターミナル。

東武スカイツリーラインは、地下鉄日比谷線や半蔵門線に相互直通運転されているので都心への利便性は抜群。お隣は「越谷レイクタウン」、お買い物好きにはたまらないアウトレットで人気のエリアです。

草加宿は江戸時代になってから街道も整備され、参勤交代や日光参拝、水運の発達と進展してきた宿場。草加松原も素晴らしい景観で、街道と歴史のつながりが強く感じられるコースでした。

次回、越谷宿はどのような顔を見せてくれるでしょう、楽しみです。

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