いのりといふもろき柱に身を寄する死からながむる生短くて
森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』
森井マスミの第二歌集『まるで世界の終りみたいな』(2015年)に収められた一首です。
一生を長いと感じる人もいれば、短いと感じる人もいるでしょう。また、同じ人であっても、その時々によって、長いと感じる場面もあれば、短いと感じる場面もあるでしょう。
長いか短いかは、生きている中で感じるものですし、おそらく生きている中でしか感じることはできないものでしょう。
しかし、掲出歌では「死からながむる生短くて」と詠われています。
主体は、実際に死の側に立ったわけではないでしょうが、死の側に立ったとすればという想像の下に生を眺めているのではないでしょうか。
それは、生きているという渦中の視点から人生を見つめるのではなく、そこから一歩外側に出た外部からの視点によって、人生を眺めるということなのかもしれません。
上句には「いのりといふもろき柱に身を寄する」とありますが、「いのり」を「もろき柱」といいきっています。
死から生を眺めた場合、その生における祈りというのは、もろき柱のようなものとして映るのかもしれません。しかし、そんなもろき柱であったとしても、生そのものの中にいるとき、人はその柱に身を寄せるのでしょう。寄せざるを得ない場面があるのだと思います。
祈りの語源は「生(い)きることを宣(の)べる」「意(い)を宣(の)る」などとされています。
このような意味を思うとき、人生が短かろうが長かろうが、たとえ脆かったとしても、人は「いのり」に向かうのでしょう。祈ることが生きていることそのもののようにも思います。
限られた人生の中で「いのり」に身を寄せる人の姿が浮かび上がってくる一首だと感じます。

