調べるのも時間がかかるので、記憶だけで話をしますが。
私が好んで読んできた中国の古代史では、王朝が滅びる時、その王朝が既に瀕死の状態だったか、というと、実はそうでもなく、むしろ栄華を極めた瞬間の滅亡であったり、最期の一戦を迎えてやっと滅びに向かっていることを王が悟る、という感じだったと思います。
王や王朝ではないですが、楚漢戦争の項羽もそのような最期であったような。項羽自身が自分の窮地に気付いた時にはもはや「四面楚歌」だったわけで、逆にそれまでは、まさか自分が滅びに向かっているとは思わない絶頂期だった。
つまり、どれだけ強く、大国であっても、滅びる時はあっという間だし、むしろ国力が上がり得意の絶頂にこそ、滅びは訪れるのでしょう。
と、ここまで書くと、私が何のことについて書いているのか、おおよそ見当はつくと思いますが、あえて実名は出しません。
その人物は、強さのあまり驕っているようにしか見えないわけですが、しかし、その国のことをよく象徴している人物、とも言えるかも知れません。悪い意味でのその国の評価そのものです。
古代中国と再び照らし合わせますが。
これまで、長く苦楽を共にした隣人を虐げるようでは、覇者とは言えません。
寡黙に付き従ってきた協力者を金づるにしようと考えては、覇権を失うきっかけになるでしょう。
滅びはあっという間です。
そして、次の覇者たらんことを欲している国が幾つかあり、おそらく彼の、驕りという炎に油を注いでいることでしょう。
このままでは、世界地図が変わりそうな予感さえしますし、私はそれを望まない考え方の一人だと思っていますが、それでも、ただ滅びを待つぐらいなら、新しい時代の立場作りに腐心した方がよいと思います。
今、既に後戻りできるのかどうかはわかりませんが、致命的になる前に客観的になった方がよいような。
国を発展させた英雄を目指すあまりに亡国の相となってしまっては、とてもじゃないが笑える話ではありません。
そして、私自身はあまりそういう世界線を見たい、とは思っていない、変化が嫌いな人間です。
