長浜に来たのだから、三成さんとこに顔を出さねば。
小谷城址から石田屋敷跡へ向かう途中、北郷里小学校の前を通る。
「おっ、見えた、見えた、三成さん!」
ちょうど日曜日、学校はだれもいない。
昇降口に端座している三成さんに、こんちは!とガラス越しに挨拶。
出生地碑と三成像の立つ屋敷跡へ。
これは晴天の日に撮った写真。
……「うち(北郷里小学校)の三成さんの像は、出生地の像が原型らしいです。
なぜか学校の物置の奥にこの紙粘土像があったんです。
ほこりをきれいにして以来昇降口に置き、おはよう!と子供たちが声をかけると、三成さんがおはようと応えてくれるよう仕掛けもつくったんですよ(笑)」
と当時の校長先生が語ってくれたことを思い出す。
それにしても「石田三成会館」、最近はほとんど休館のよう。
かつてはこんなに賑わっていたのに(泣)。
大河「天地人」で、小栗旬さんが三成を演じた年。
あの時は三成さんのイメージがぐんと上がった気がした。
すぐ近くの石田神社・石田三成公一族家臣供養塔。
ここも静か。いつも誰もいない。嬉しいような寂しいような。
一族家臣らの墓塔だった石が、この地から江戸初期に掘り出され整備されたという。
三成さんの墓所は京都・大徳寺三玄院。首も胴も埋葬されている。
しかし特別公開の日でも三成さんの墓所は公開されていないようだ。
この写真は10年ほど前。拝観謝絶とある。
となると今は、この石田の里の供養塔が三成さんの墓所というべきか。
高野山にもあるが遠いし。
ここには辞世の句碑も立てられている。
供養塔近くからのまっすぐの「三成ロード」。
あの「三献茶」の逸話で有名な観音寺へつながる道。
正面の山の向こう側に観音寺。
いつだったか、トンネルを通らずあの山を越えたなぁ、元気だった(笑)。
この日は観音寺には寄らず、米原市へ向かう。
ここんとこ長く、三成さんの盟友大谷刑部少輔吉継さんの首塚に参っていない。
関ケ原の墓所はよく立ち寄っているのだが。
三成さんにいや、三成・吉継さんにもっとも惹かれた御存じある茶会の逸話。
……「大名たち皆は、吉継の呑んだ茶碗を嫌って飲む真似だけ。だが三成だけは吉継の使った茶碗をそのままぐいと飲み干した。感涙する吉継…、まさにわが友三成よ!」
おそらく後世創作であろうこの逸話に、紅顔の列伝少年は感動感涙、衝撃を受けた。
以来高校生であろうと、予備校生であろうと大人であろうと事実のごとく、幾度か喋ってきた、きたなぁ(笑)!
JR米原駅から1㌔ほどの周囲に田畑が広がる地。
よかった! 駐車場が整備された。
鉄柵にかこまれベンチまで。左側の駐車場はかつて来たときはなかった。
以前来た時からずいぶん整備されていて嬉しくなった。
ここも花が供えられていた。
関ケ原の吉継さんの墓所はここから20㌔ほどだが、しかしあの山道が最近はきつくて。
きょうもきれいな花が供えられているのかな。