敦賀からの帰路。賤ケ岳を眺望。
この前登った時、山頂からの琵琶湖・余呉湖は絶景だった!
今日は小雨か…。
振り返って眼下に余呉湖。サイコー!
小谷城近くの長浜市浅井支局、おぉ、目を引く銅像群が!
左から、お初、お市の方、茶々、浅井長政、おちびちゃんはお江か、まだ男児がいたような、右端は長男虎王丸か。
ほほえましいというか、哀愁帯びる浅井一家の像。
さらに「道の駅浅井三姉妹の郷」にも。
左からお初、ここのおちびちゃんもお江か、お市の方、そして茶々。
かつて福井市・北之庄城跡の柴田勝家像そばにも母娘四人の姿像を見た。
左から茶々、お江、お初かな。
周知のように、お市さんは信長の妹にて浅井長政の妻、後に柴田勝家の妻。
長女茶々は秀吉妻室にて秀頼の母、次女お初は京極高次の妻、末娘お江は秀忠の妻、家光の母。
1570年、浅井長政は姉川の合戦で信長家康連合軍に敗れた。
左手に姉川が流れる。
3年後、信長軍三万は小谷城に籠城する浅井勢5千を攻める。
激戦攻防およそ一か月、ついに長政及び長政父の久政が城内にて切腹、落城。
お市の方・三姉妹・虎王丸は囚われの身に。
小谷城址碑。
またでっかい兜が。
こんなんより城門などの方がよかったのに。
本丸へ行くのは天気悪くあきらめ、長浜駅近くの徳勝寺へ。
かつてこのお寺さんは墓参に来て、写真も残っている(デジカメでないころ)のだが、思い出せない。
あんなに微笑ましくも哀しい浅井家の家族像を見たのだから…。
左から浅井長政、祖父亮政、父久政の墓塔が静かに並んでいた。
長政享年29。
お市の方三姉妹は助けられたが、長男虎王丸は探し出され磔刑に。
さて小谷落城後の翌年正月、世に有名な信長の新年酒宴。
『信長公記』にはこう記されている。
「古今承り及ばざる珍奇の御肴出で……首三つ、薄濃(はくだみ)にして据え置き、御酒宴…(信長は)めだたくご存分にお悦びなり」
首三つとは長政・久政そして朝倉義景。
漆で塗り固め金泥で装飾した薄濃の三つの髑髏を「肴」に信長は喜び謡った。
薄笑いしながら酒を舐める信長の残忍さを象徴する場面がドラマなどでよく描かれる…。
朝倉攻めの時、信長を裏切った長政がよほど憎かったのか。
なんと掛川城に、大河ドラマで使用された髑髏杯が展示されているとか(なぜか私は見逃してる)。
そんなタイミングで次回大河ドラマ「豊臣兄弟」で小栗旬が信長役と発表が。
憎々し気な信長ではないのかな。